[特集]
精神を病んだ退役軍人の夫を愛し支える妻、夫婦の26年間と愛の証し
2026/09/06 10:10 JST更新
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8月のある日の午後、ファン・ティ・トゥエットさん(女性・59歳)は、北中部地方ゲアン省タインビン街区(phường Thành Vinh、旧ビン市)からゲアン傷病兵療養センターにバイクで向かい、夫で退役軍人のグエン・ホアイ・ミンさん(男性・67歳)を訪ねた。
妻の姿を見るやいなや、ミンさんは妻に駆け寄り、「元気かい?息子はどこにいる?」と尋ねた。夫婦は再会しても多くの言葉を交わさない。ミンさんはただ妻の手を握り、優しく微笑みながら妻を見つめている。
1980年にカンボジア戦線で地下壕を直撃した砲弾により、ミンさんは脳損傷を負い、統合失調症を発症した。結婚して以来、ミンさんの生活は妻と息子を中心に回っている。26年間にわたる結婚生活の中で、ミンさんはいつも親しみを込め、妻を「エム(em=君)」、自分を「アイン(anh=僕)」と呼んできた。ベトナム語では、夫婦や恋人同士で使われる親しい呼び方だ。
夫が自分はいつ家に帰れるのかと尋ねると、トゥエットさんは夫の手を優しく握りしめ、「家が完成したら、息子と一緒に迎えに来ますからね」と答えた。
1999年、現在のゲアン省フングエン村(xã Hưng Nguyên、旧フングエン郡フンタイ村)で幼稚園教諭をしていたトゥエットさんは、省内の病院で父親を看病していた。
その時、たまたま同じ病室に入院していたシンさん(女性)と知り合った。トゥエットさんは、付き添いのいないシンさんによく手を貸した。会話を交わすうちに、シンさんにはホアイ・ミンという名前の息子がおり、彼はゲアン精神神経傷病兵療養所(2025年8月にゲアン傷病兵療養センターに統合)で治療を受けている傷病兵だということを知った。
「あなたみたいなお嫁さんがいたらいいのにね」というシンさんの何気ない一言が、トゥエットさんの心に深く刻まれた。シンさんの家の近所に住むトゥエットさんの親友はミンさんについて、入隊する前はとても優しい人だったと教えてくれた。戦争による精神的なトラウマから、ミンさんは記憶を失い、精神が不安定になったのだった。
ミンさんのことが気になり、トゥエットさんは自転車を15km以上走らせて療養所を訪ねた。トゥエットさんは鉄格子の窓越しに、中庭の隅に寂しそうに座っている40歳過ぎの男性を目にした。担当者が彼を呼びに行くのを待たずに、トゥエットさんは突然その場を去って帰宅した。
翌週末、トゥエットさんは再び療養所を訪れた。今度こそミンさんと向かい合って座ると、「狂人」のようには見えず、何を聞いても素直に答えてくれる穏やかな人柄に強い印象を受けた。何度か会ううちに、トゥエットさんの中に好意が芽生えていった。
そしてその感情は、ミンさんの戦場での生死にかかわる体験を聞いたことで、共に生きるという揺るぎない決意に変わった。
1977年8月、ミンさんは入隊し、ベトナムとカンボジアの国境での戦いに参加した。1980年の初め、カンボジアのプノンチャットにおけるクメール・ルージュの掃討作戦中、ミンさんのいた地下壕が砲撃を受け、生き埋めになった。地下壕にいた兵士6人のうち5人が犠牲となり、ミンさんだけが、素手で土砂をかき分けて助けを呼び、生き延びた。
障害度21%で後方に移送されたミンさんは、戦友たちの死を目の当たりにしてパニック状態に陥った。1981年6月2日に除隊したものの、戦争の後遺症により病状は徐々に悪化していった。障害度は1987年に61%、1997年には81%にまで上昇した。妄想症を患い、頻繁に物を壊すようになり、当時の近所の人々は彼のことを「狂人」呼ばわりした。
傷病兵との結婚を決めたトゥエットさんに対し、友人や実の兄弟姉妹からは猛烈な反対の声が上がった。「精神を病んだ人と結婚するなんて、あんた、どうかしちゃったの?自分から泥沼にはまろうっていうの?」トゥエットさんはこうした言葉を何度となく耳にした。
それでも、トゥエットさんの実の両親は、娘の決断を応援してくれた。「国の平和のために血を流した人は、愛されて当然なんだ」という、当時、村の共産党委員会書記を務めていた父親の言葉が、トゥエットさんに力を与えた。
2000年7月20日、トゥエットさんは傷病兵であるミンさんと自らの意思で結婚することを記した誓約書を作成し、フンタイ村人民委員会と療養所の指導部に提出した。同月末、療養所の支援のもと、2人は結婚式を挙げた。
夫を迎え、高齢の母親と同居し始めると、トゥエットさんは多くの陰口に直面した。世間は彼女がミンさんの実家の財産を狙っていると噂したり、彼女が未婚で妊娠したから障害のある男性と結婚したのではないかと中傷したりした。こうした悪意のある噂に対して、トゥエットさんは沈黙を守り続けた。
結婚して以来、トゥエットさんは幼稚園教諭としての給料で家族を支える大黒柱となった。妻の苦労を思いやり、ミンさんは、症状が落ち着いている時には路地の入り口に出て自転車のタイヤに空気を入れる仕事をし、家計の足しにした。
精神状態が不安定でも、ミンさんは妻への愛情を惜しみなく注いだ。毎朝、妻が仕事に出かける前に自転車のタイヤを点検し、彼女の額にキスをした。夕方になると、路地の入り口で妻の帰りを待ちわびた。美味しい食べ物があれば、必ず妻のために残しておいた。
2002年、夫婦は長男を授かった。トゥエットさんは子どもを育てながら、重病を抱える夫と高齢の母親の世話を一身に引き受けた。ミンさんが発作を起こして叫び声を上げたり、家の中の物を壊したり、食べ物を吐き出したり、自分の食べ物を他人の器に入れたりするたびに、トゥエットさんは辛抱強く夫をなだめた。
夫が意識を失っている時は、彼女が自ら身体介助や衛生面のケアを行った。精神的に不安定なミンさんは、周囲の人々にそそのかされて根拠のない嫉妬に駆られ、妻に暴力を振るうことも一度や二度ではなかった。
暴力を受けても、トゥエットさんは決して夫を恨まなかった。「夫にとって、私と子どもが世界で唯一の存在だからこそ、失うのが怖いんでしょう」とトゥエットさんは話す。
ミンさんの病状が深刻化するたびに、トゥエットさんは彼を療養所に入院させ、数か月後に容態が安定すると自宅に連れて帰った。しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行してからは、医療ケアを受けさせるために夫を療養所に常時預けるようにし、祝日やテト(旧正月)の時期にだけ自宅へ連れて帰るようになった。
2025年、夫妻の息子はハノイ市の大学を卒業し、地元に戻って就職した。2026年の初め、トゥエットさんは自身の毎月190万VND(約1万1500円)の年金と夫の傷病兵手当をコツコツと貯め、親戚から借金をし、さらに療養所からの5000万VND(約30万3000円)の支援金を合わせて、老朽化した広さ40m2の家を取り壊し、新しい住まいを建てた。
これまでの26年間にわたる歩みを振り返り、トゥエットさんは、この歳月こそが偏見を乗り越えた何よりの愛の証しだと考えている。「もし、もう一度選択できるとしても、私はやっぱり、多くの苦難を背負ってきた兵士の世話に一生を捧げるでしょうね」とトゥエットさんは語る。
ゲアン傷病兵療養センターの所長であるグエン・ティエウ・ラムさんは、ミンさんの診療記録に保管されている、精神を病んだ退役軍人との結婚を自ら志願したトゥエットさんの誓約書を読み、大きく心を揺さぶられたと話す。
この26年間、トゥエットさんが夫に注いできた揺るぎない愛情を目の当たりにし、ラムさんや療養センターの職員たちは感服せざるを得ない。
「トゥエットさんの自己犠牲は、我々のようなケアスタッフの一人ひとりに、戦場で血を流し、傷を負った人々を常に敬い、大切にすることを改めて教えてくれるんです」とラムさんは語った。
[VnExpress 06:00 30/08/2026, A]
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