[特集]
21年で義肢1600本を無償製作、障がい者の自立支える元傷病兵の医師
2026/09/27 08:05 JST更新
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医師のレ・タイン・ドーさん(男性・81歳)は、過去21年間にわたり、集合住宅にある自宅を工房に改装し、1600本以上の義手や義足を製作して傷病兵や障がい者に無償で提供し、社会復帰を支援してきた。
ある日の午前、ハノイ市トゥオンマイ街区(旧ハイバーチュン区)ゴックデー路地にある自宅で、ドーさんは東北部地方トゥエンクアン省(旧ハザン省)で労働災害により片脚を失った患者の書類を丁寧に確認していた。
この患者は2日後にドーさんのもとを訪れる予定だ。支援団体の審査に間に合うよう、個人情報や傷病の状況などのすべての情報を事前に送付してもらった。
ドーさんによると、遠方に住み、なおかつ経済的に厳しい状況にある患者が多いため、交通費を節約する目的で、可能な限り手順を簡略化している。患者が工房を訪れるのは、診察・採寸を行う初回と、装着・仕上げを行う2回目の計2回だけで済むという。
医科評議会を退いてから20年以上が経ち、傷病兵でもあるドーさんは、無料の義肢装具工房を休むことなく続けている。自らも砲火をくぐり抜けてきたからこそ、身体の一部を失う苦しみを深く理解している。
「戦争を経験した者として、微力ながらも、戦友や弱者の方々が自らの足で再び歩けるよう手助けしたいと切に願っています」とドーさんは語る。
1963年、ハノイ市で高校卒業を控えていたドーさんは、学業を中断して入隊した。第304師団第57連隊第19中隊に配属され、北中部地方タインホア省のホンメー(Hòn Mê)島に駐屯した。
1965年に米国が北ベトナムへの攻撃を本格化すると、タインホア省の重要な交通路だったハムロン橋周辺エリアへと移動し、爆弾や地雷を処理する任務を命じられた。
工兵の任務には、勇敢さと鋭い洞察力、そして絶対的な正確さが求められた。敵機が爆撃を行うたび、兵士たちは投下された爆弾の数を正確に数え、爆発したものと不発弾を見分け、不発弾を処理しなければならなかった。見落としがあれば、仲間への甚大な被害につながる。
1966年、ハムロンエリアでの突然の空襲により、爆弾の破片がドーさんの身体に突き刺さった。北部紅河デルタ地方ニンビン省からハノイ市にかけて3か所の病院で治療を受け、一命を取り留めたものの、身体機能の61%を失い、除隊を余儀なくされた。
入院中、傷病兵が次々と搬送される一方で、医療従事者が足りていない状況を目の当たりにし、ドーさんは進路を変えることを決意した。「戦友たちの苦しみを目の当たりにして、医師になり、仲間の治療に当たりたいと強く思いました」とドーさんは語る。
1970年、ドーさんはハノイ医科大学に合格した。6年間学んだ後、北部地方バクニン市(旧バクニン省)のトゥアンタイン傷病兵療養センターで医務部長に着任した。
同センターは、労働能力の81%以上を失った脊髄まひの傷病兵を専門に受け入れる施設だった。ドーさんは毎日、褥瘡の処置を自ら行った。痛みのあまり患者がいらだちを見せても、ドーさんは忍耐強く介助を続けた。
トゥアンタイン傷病兵療養センターで9年間勤務した後、旧労働傷病兵社会省に異動し、義足製造プロジェクトに参加した。この時期、労働社会大学でドイツが支援する義肢装具技術者養成プロジェクトの講師を務めた。また、オランダでこの技術に関する6か月間の専門研修を受けた。
貧しい傷病兵や障がい者の多くが義肢を装着する費用を賄えない現状を目の当たりにしたドーさんは、定年退職を間近に控えた2004年、無料の義肢装具工房を開設することを決意した。
周囲の反対を押し切り、妻や子どもの賛同を得て、貯金をすべて投じ、さらに数億VND(1億VND=約60万円)を借り入れて集合住宅にある自宅を工房に改装した。
2005年、ドーさんは元教え子たちにも声をかけ、5人のメンバーで工房の活動を開始した。ドーさんは毎月、年金の一部を作業員の給与や設備の改良費用に充てている。
材料費については、米国、ドイツ、オランダ、オーストラリア、韓国などの非政府組織(NGO)に自ら働きかけ、支援を募っている。すべての症例について詳細な予算計画を作成し、申請書類を支援団体に送って審査を受けている。
当初は北部からの患者が中心だったが、工房はすぐに全国の退役軍人や交通事故の被害者、生まれつき障がいのある子どもたちを受け入れるようになった。義肢1本あたりの製作費用は数百万~数千万VND(100万VND=約6000円)に上るが、すべて慈善家や支援団体の寄付によって賄われている。
工房の最大の問題は、業務時間と患者の到着時刻のずれだ。始業時間は午前8時と定められているものの、遠方からの患者の多くは夜行バスを利用し、早朝にハノイ市へ到着する。そのため、ドーさんはいつも早起きして患者を出迎え、診察や採寸を行っている。
診察と採寸を終えると、ドーさん自ら患者の情報を書類に記入し、家庭環境を確認した上で支援団体へ送付する。家族からは何度も休むよう勧められたが、ドーさんは健康と頭の働きを保つためだとして、今も作業を続けている。
これまでの21年間で、工房は1600本以上の義手や義足を製作し、何千人もの人々が自立して働き、社会に貢献できるよう支援してきた。活動の広がりにより、既存の支援者が新たな支援者を紹介してくれるようにもなった。現在、国内のある慈善基金が年間約300件の義肢製作費を負担すると約束している。
また、工房では古くなったり壊れたりした義肢のメンテナンスや修理も無料で行っている。経済的に困難な患者に対しては、ドーさんが交通費や滞在費として1人あたり50万VND(約3000円)の支援金を追加で申請し、彼らの経済的負担を軽減している。
「健康が許す限り、生活に困っている方々が一人でも多く再び身体を動かせるよう、この活動を続けていくつもりです」とドーさんは語る。
1979年7月にベトナム・カンボジア国境での戦闘で右脚を失った北部紅河デルタ地方ハイフォン市チーリン街区(phường Chí Linh、旧ハイズオン省チーリン市)のチャン・バン・チャインさん(男性・68歳)は、当初は木製の義足を使用していた。
しかし、農作業ですぐに義足が摩耗してしまい、10年以上前にドーさんの工房を訪れて義足の製作を依頼した。2024年に古い義足が破損した際も、チャインさんは新しい義足の申請手続きでドーさんのサポートを受けた。
自身の体験から、チャインさんは街区の赤十字社での活動経験を生かし、地元の障がい者を支援している。ドーさんの工房の負担を軽減するため、チャインさんが義肢製作の希望者に申請書の作成や書類のコピー、書類のまとめ方を指導し、支援を必要とする数百人を、適切な支援につなげてきた。
「義足のおかげで、障がい者が社会に復帰し、働いて家族を養うことができるようになるんです」とチャインさんは語った。
[VnExpress 06:00 17/09/2026, A]
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