VIETJO - ベトナムニュース 印刷する | ウィンドウを閉じる
[特集]

両手足のない少女が掴んだ夢、デザイン専攻の短大生への道

2026/10/04 08:08 JST更新

(C) VnExpress
(C) VnExpress
(C) VnExpress
(C) VnExpress
 生まれつき両手足がないホアイ・トゥオンさん(女性・2008年生まれ)は、左右の上腕を使って自力で文字の書き方や絵の描き方を学び、この9月からは短期大学でグラフィックデザインを学んでいる。

 9月末のある日の昼頃、チャン・ティ・カム・ザンさん(女性・48歳)は、ホーチミン市タンアンホイ村(xã Tân An Hội、旧クチ郡)の自宅から、同市フートホア街区(phường Phú Thọ Hòa、旧タンフー区)にあるベトナム商工短期大学(VCI)まで、娘を乗せてバイクで約30kmの道のりを走る。

 校門の前にバイクを止めると、ザンさんは夫が手作りした車輪付きの台車を地面に置き、娘のトゥオンさんを乗せて教室へ向かわせる。

 高い段差に差しかかると、まずザンさんが台車を上に持ち上げる。段差の下ではトゥオンさんが左右の上腕を床につけ、身体を這わせて段差を越える。そして、トゥオンさんは再び自力で台車を進め、教室の席へと向かう。

 ザンさんは、持参したハンモックを学校の向かいにある芝生に張り、娘の授業が終わるのを待つ。トゥオンさんが入学してから2週間、ザンさんは市場での魚売りを一時休み、こうして娘の送迎を行っている。

 「商売を休めば、建設作業員をしている夫の収入だけでは暮らしが成り立ちません。でも、私が市場へ行けば、娘を学校まで送っていける人がいませんから」とザンさんは話す。

 ザンさんが娘を学校に通わせるために苦労するのは、これが初めてではない。

 トゥオンさんは、ホーチミン市タンアンホイ村カイソップ集落に暮らすザンさんとグエン・バン・ロイさん夫妻の末娘だ。2000年生まれの姉は、健康な身体で生まれた。

 2008年、妊娠中の超音波検査では異常が見られなかったものの、トゥオンさんは四肢が欠損した状態で生まれた。両腕には肘から先がなく、両脚は短く、片方には膝関節もなかった。

 出産後の最初の1か月間、ザンさん夫妻は近所の噂話を恐れて自宅の戸を固く閉ざした。気持ちが次第に落ち着いてくると、ザンさんは幼いトゥオンさんを背負い、旧クチ郡の道端で宝くじを売り歩くようになった。学校の前を通るたび、トゥオンさんはいつも学校に通いたいとせがんだ。

 当時、旧クチ郡には障がい児のための学校がなかった。そこでザンさんは、私立の幼稚園に娘の入園を申し出た。しかし、入園から2日目、手足のないトゥオンさんが教室の床を這う姿を見て自分の子どもが怖がって泣いてしまったとして、一部の保護者から反発の声が上がった。

 翌日、ザンさんはトゥオンさんを抱いてクチ郡の教育当局へ出向き、インクルーシブ教育を受けさせてもらえるよう直訴した。「私の子どもは手足に障がいがあるだけで、知能の発達は正常です」と母親は訴えた。トゥオンさんはその後、自宅近くの公立幼稚園への入園が認められた。

 小学1年生になった日、トゥオンさんが皿の上に座り、お尻をずらしながら移動しているのを見たロイさんは、小さな板の底に4つの車輪を取り付けた台車を作った。

 トゥオンさんはその上に座り、左右の上腕を使って自力で移動できるようになった。教室では、からかわれるのを避けるため、トゥオンさんはよく1人で隅に座っていた。

 文字を書く練習を始めた頃、トゥオンさんは口にペンをくわえようとしたが、ペンは何度も口から落ちた。

 慈善団体の支援でハノイ市へ行き、義肢を装着してもらったものの、硬いプラスチック製で、締め付けられるうえに熱がこもり、不快感があったため、使うことができなかった。

 自宅に戻ると、トゥオンさんは自ら左右の上腕の間にペンを挟み、ぎゅっと力を込めて固定する方法をあみ出した。5分ほど書き続けると両腕が疲れ果て、母親がマッサージをしてから練習を再開した。

 5週間以上を経て、ようやく最初の文字が形になった。左右の上腕で物を挟む要領で、トゥオンさんはスプーンの持ち方、自力での入浴や掃除の仕方も身につけていった。

 「『お父さんとお母さんは、いつまでもあなたのそばにいて面倒を見てあげることはできないから、自分で身の回りのことができるようになりなさい』と、母からいつも言われていました」とトゥオンさんは振り返る。

 トゥオンさんの自立心は、2022年に一家が苦境に陥った際、家族の大きな支えとなった。ザンさんが交通事故に遭い、肋骨と足を骨折した上、脊椎を損傷し、6回もの手術を受けることになった。

 一家は治療費を工面するため、飼っていた牛をすべて売らなければならなかった。同じ時期、ロイさんは工場での仕事を失って建設作業員に転職した。長女はすでに結婚し、実家を離れていた。

 母親が退院した日、トゥオンさんは自ら台所に立ち、サヤインゲンの炒め物を作った。まな板の上にサヤインゲンを1本ずつ置き、口で包丁の柄をしっかり固定して両端を切り落とすと、左右の上腕でスプーンを挟んでフライパンの具材を炒めた。

 母親が寝たきりだった6か月間、トゥオンさんは料理をし、薬を用意し、水を運ぶなどして母親を支えた。

 一家が経済的に困窮し、、トゥオンさんの学業は中断しかけた。近所の人たちの中には、手足のない人は学校を卒業しても就職が難しいからと、学校を辞めさせて宝くじを売りに行かせるようザンさんに勧める人もいた。

 「学業を終えても雇ってくれる人がいるとは限らないと言われました。でも、もし学校をやめてしまったら、この子の未来はさらに暗くなってしまいます」とザンさんは語る。

 トゥオンさんは、小・中学校と高校を通じて優秀な成績を維持し、美術への関心を示すようにもなった。高校1年生の夏には、娘からの度重なる説得を受け、ザンさんはトゥオンさんを自宅近くの絵画教室に連れて行き、1日分の受講料を払って体験レッスンを受けさせた。

 体験レッスンが終わると、講師はトゥオンさんが優れた色彩感覚を持っていることを見抜き、継続して指導することを引き受けた。その後、トゥオンさんの作品がハノイ市での展覧会に出品されたこともある。

 2026年に高校を卒業したトゥオンさんは、グラフィックデザインを専攻し、ベトナム商工短期大学への入学を果たした。娘の合格通知書を手にしたロイさんは、喜びと不安が入り交じった心境を明かす。

 「学費のことも心配ですし、通学の道のりが遠いことも心配です。ですが、どんなに苦労しても、娘が手に職をつけられるよう、夫婦で全力を尽くすつもりです」とロイさんは話す。

 トゥオンさんが3歳の頃から、地元の枯葉剤被害者協会を通じて一家に寄り添い、奨学金の受給につなげてきたファム・ティ・ロアンさん(女性)は、ザンさん一家が娘に夢を諦めさせようと考えたことは一度もなかったと明かす。「体調を崩して辛い日でも、トゥオンさんは自ら小さな台車を進めて絵画教室に通っていました」とロアンさんは語った。 

[VnExpress 06:31 27/09/2026, A]
© Viet-jo.com 2002-2026 All Rights Reserved.


このサイトにおける情報やその他のデータは、あくまでも利用者の私的利用のみのために提供されているものであって、取引など商用目的のために提供されているものではありません。弊サイトは、こうした情報やデータの誤謬や遅延、或いは、こうした情報やデータに依拠してなされた如何なる行為についても、何らの責任も負うものではありません。

印刷する | ウィンドウを閉じる