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[特集]

ロンタイン空港建設、地図から消えた村と人々の新生活

2022/05/08 10:17 JST更新

(C) zingnews、新しい家屋の建設が進む再定住区
(C) zingnews、新しい家屋の建設が進む再定住区
(C) zingnews、間もなく取り壊される家々
(C) zingnews、間もなく取り壊される家々
(C) zingnews、庭付き一戸建てが立ち並ぶ再定住区
(C) zingnews、庭付き一戸建てが立ち並ぶ再定住区
(C) zingnews、補償金で建てたヒエンさんの新居
(C) zingnews、補償金で建てたヒエンさんの新居
 ベトナム最大の空港となるロンタイン国際空港。この一大プロジェクトのために土地を譲った人々はいま、どのような暮らしを送っているのだろうか。


地図から消えた村

 3月はじめ、ロンタイン国際空港建設用地として土地収用が行われた場所に、東南部地方ドンナイ省ロンタイン郡スオイチャウ村第2スオイチャウ村落の長であるグエン・ドゥック・クーさんが、案内してくれた。

 赤土かぶるでこぼこのアスファルト道を、村落の奥へと入っていく。スオイチャウ村は全域が空港建設用地となるため、全村民が移住対象となり、村は行政区画からも、その名が消える。

 ここスオイチャウで農家をすること数十年、豊作もあればそうでない年もあったが、クーさんはこの村の農地2.4haで生計を立ててきた。村民や自治体から信頼を得て村落長に選出されたクーさんは、生まれた場所ではないが、ここが自分の故郷だと言う。

 しかし自分たち家族の土地はおろか、村がすっぽりと空港になる、みんな移住しなければならない、そんな知らせを聞いた時には、居ても立っても居られなくなった。自分たちの将来はどうなるのか、自分たちはどこへ行けばいいのか……。

 その不安は、村の会合に何度も参加することで薄まり、彼は家族や近所の人々を励ますようになった。なぜここに国際空港が建設されるのか、その必要性が分かったからだ。クーさん家族は第2スオイチャウ村落で最初に、立ち退き補償金を受け取り、すべての再定住支援計画を受け入れた。

 クーさんが、1992年に建てたという、かつての住まいに案内してくれた。間もなく取り壊される家だ。庭とカシューナッツ畑に囲まれた100m2ほどの家。夫婦と子供たち6人の思い出の場所だ。

 その家に今は住む人はなく、少しばかりの家財と、衣服が残されているばかり。クーさん家族は今年のテト(旧正月)に、ロックアン・ビンソン再定住区に引っ越した。

 クーさん同様に、他の多くの家族が再定住計画を受け入れ、新居に引っ越した。かつては賑やかだったろう住宅地の跡。再定住区への引っ越しまでの期間、ここに残る住民もいるが、村役場はとうの昔に業務をやめ、その一部は空港建設の技術者や作業員の作業場として使われている。スオイチャウ小学校にはまだ子供たちの声がある。村道には、「土地売ります」の張り紙が生い茂る。

 スオイチャウ村はもう地図には存在しない。国道10号線沿いに残る廃墟も、まもなく取り壊される。

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 農家が建てた「庭付き一戸建て」

 「うちは、あと10日くらいかかるかしら」
 「なんだ、もう終わったと思ってた。テトには引っ越してたよね?」
 「知り合いの大工に頼んでるから、ちょっと遅いの。でも、まぁ、もうすぐよ」

 ヒエンさん(45歳)が、ロックアン・ビンソン再定住区の新居でクーさんと笑う。彼女は家の掃除をしながら私たちを出迎えつつ、気を抜かないで仕事をするよう大工に注意する。

 スオイチャウ村で暮らして20年あまりのヒエンさんは、夫とのあいだに2人の娘がいる。かつては土地を借りてキャッサバやカシューナッツを植えていたが、期待したような儲けは出なかった。

 「頑張っても、頑張っても、食べていくだけで精一杯。節約して、節約して何とか子供たちの学費を捻出して。家なんて間に合わせの葉葺だったし」と、ヒエンさんはスオイチャウ村で生活していた頃を思い出す。

 そんなある日飛び込んできた、ここに空港が建設されるらしいというニュース。彼女にはそれが、喜ぶべきものなのか、心配するべきものなのかわからなかったが、じきに自治体がやってきて土地の測量が行われ、立ち退き補償計画が知らされた。農地4000m2で受け取ることができた補償金は20億VND(約1140万円)近く。これに再定住区の1区画分の抽選券が付くということだったから、家族は喜んだ。

 抽選で引き当てたのは125m2の区画、農地を宅地に切り替えるための税金を少し払い、2021年なかばから家の建設をはじめ、2022年のテトが迫った頃、家はまだ60%の仕上がりだったが、一家は新居に引っ越した。

 「建設費は20億VNDちょっと。頑張ったのよ。大工は親戚に頼んでできるだけ費用を抑えて。補償金は家の建設に全部使っちゃったけど、なかなかいいでしょ。気に入ってるわ」とヒエンさんは言う。

 実はヒエンさんも夫もこの先の収入の当てがないのだが、娘が2人ともちょうど大学を卒業したところで、負担はずいぶん軽くなったという。「貯金もないので何か仕事を探しますよ。しばらく家にいて、勤めに出るといろいろ大変だとも聞くから、心の準備はしておきます」とヒエンさん。

 ヒエンさんより好条件だったのはチュンさん(62歳)である。彼は約2万m2の農地の補償金として100億VND(約5700万円)あまりを受け取ることができ、さらに再定住区の区画300m2を引き当てた。彼が20億VNDあまりをかけて建設した家は2021年末に完成した。

 立派な新居に暮らし、相当の貯金もでき、これが現実なのか信じられないことも多いという。「空港建設がなければ、この周辺の土地も今みたいに高くはないでしょうし、私たちは今も貧しい農家のままだったでしょう」と話すチュンさん夫妻は毎朝、コメや野菜を軒先に並べて行き交う人々に販売している。また何の経験もなかったが、コーヒーメーカーを購入し、飲み物販売などにも精を出している。 

[Zing 20/03/2022, F]
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