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[特集]

消えゆく証言者の記憶、異国で戦死者の遺骨を捜す兵士たち【前編】

2026/08/02 10:21 JST更新

(C) VnExpress
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 烈士(戦死者)の遺骨の捜索・収集は、ほとんどの場合、ほんのわずかな手がかりから始まる。その手がかりとは、日に日に年老いていく証言者たちの記憶だ。

 「証言者が場所を間違えて覚えていた可能性はないだろうか?」と、気温40度に達するラオスの炎天下で何日も発掘作業を続けた後、ある兵士は思わずつぶやく。

 乾季の2か月間にわたり、北中部地方クアンチ省軍事司令部所属の第589烈士遺骨収集隊は、ラオスのセーバンファイ川沿いで数千m2の土地をしらみつぶしに発掘してきたが、烈士の痕跡や骨片は一切見つからなかった。

 隊長のグエン・タイン・ビン大佐は、ただ首を横に振る。半世紀以上の時を経て、洪水で土砂が流れ込み、埋まってしまったのか、あるいはその地域が完全に姿を変えてしまったのか、誰も断言することはできない。

 この捜索は、1972年にセーバンファイ川沿いで爆撃を受けた後、村人たちと共に39人のベトナム人兵士を埋葬したという、ラオス人退役軍人の証言をきっかけに始まった。第589部隊は、最寄りの村から原生林を約7km歩き、ようやく指定された場所に到着したが、何の痕跡もなかった。

 37年間にわたり烈士の遺骨を収集してきた第589部隊の歴代の兵士たちは、同じ場所に3回も4回も戻ることには慣れている。ほんのわずかな希望の光さえあれば、彼らは作業を続けるのだ。

 「引き続き確認を行い、来年の乾季にまた戻ってきます」とビン大佐は語る。

 第589部隊は、2027年7月27日で80周年を迎える「戦争傷病者・烈士記念日」の節目に向けて、2026年3月15日に発動された「烈士の遺骨捜索・収集・身元確認を強化する500日間集中プロジェクト」に、数百の部隊とともに参加している。

 このプロジェクトの目標は、約7000柱の烈士の遺骨を捜索・収集し、身元不明の数十万基の墓からDNAサンプルを採取し、烈士の親族の遺伝子データベースを構築し、重点地域での地雷や不発弾の撤去を推進することだ。

 戦争終結から50年以上が経ち、ベトナムはこれまでに100万柱以上の烈士の遺骨を捜索・収集してきた。しかし、依然として約17万5000人の烈士が未発見で、墓地にある30万基近い墓も身元不明のままだ。

 これらの数字の背後には、自分の親族がどこに眠っているのかいまだに分からないままの何十万もの家族がいる。彼らは毎年、「名もなき烈士」とだけ刻まれた石碑の前で静かに線香をあげている。

 「500日間集中プロジェクト」は、ベトナムがかつて戦闘を行った、ラオスとカンボジアを含む国内外のすべての戦場で一斉に行われている。烈士たちを帰還させることを目的として、全国の省・市で複数の捜索チームが同時に展開されている。

 プロジェクトの開始から4か月近くを経て、全国で1425柱の烈士の遺骨が発見・収集された。このうち401柱は国内、174柱はラオス、850柱はカンボジアで発見されたものだ。

時間が最後の証言者たちを奪い去っていく

 毎年乾季になると、クアンチ省の第589部隊の幹部や兵士ら30人がリュックを背負ってラオスへと旅立つ。1989年10月に部隊が創設されて以来、かつて戦闘や駐留、あるいは輸送路の開拓に従事して犠牲となり、いまだ見つかっていないベトナムの義勇軍や専門家の遺骨を捜索・収集するという任務のもと、37年間にわたりこの活動が続けられてきた。

 今回の目的地は、チュオンソン山脈の向こう側、クアンチ省(旧クアンビン省)のチャーロー国境検問所から約100km離れたラオスのカムムアン県だ。旅程は10月から翌年の5月まで8か月近くに及び、数百kmの林道を進み、川や小川を渡り、山の中腹にある岩穴へ向かう。

 携帯電話の電波も届かず、週末や休日もない。彼らの生活には、山林と戦争の遺物である地雷、そして長く続く捜索だけがある。

 ラオスで2回の乾季を経験した第589部隊隊長のグエン・タイン・ビン大佐は、最も困難なことは自然の過酷さだと語る。捜索場所は主に原生林と山岳地帯で、現場に到着するまでに、わずか数kmの距離でも車で何時間もかかり、ボートで川を渡り、さらに森の中を何kmも歩かなければならない場所もある。

 乾季の最中、カムムアンは気温40度に達する焼けつくような暑さとなる。風もなく、掘削作業を数分行っただけで服は汗でびっしょりになる。それに加え、兵士たちは地雷という土の下に潜む危険にも直面する。

 カンボジアでも、ラオスと同様に烈士の遺骨の捜索・収集作業が行われている。南部地方タイニン省軍事司令部所属のK73部隊の兵士たちがカンボジアの森を歩いていた時、チャン・チー・コン大佐が「全員、動かないで」と大声で叫んだ。

 兵士たちのすぐ近くの草むらに、錆びた地雷が紛れていた。工兵が処理を終えて初めて、一行は安堵のため息をつき、危険を避けるために野生動物が残した獣道に沿って移動を続けた。

 ベトナム国境から650km以上離れたカンボジアのパイリンでは、K73部隊の兵士たちにとって、それは日常の一場面だ。ラオスで活動する第589部隊と同様に、K73部隊も乾季に入るたびにカンボジアへと出発し、烈士の遺骨を捜す任務を遂行する。

 スヴァイリエン、プノンペン、バタンバンなど、カンボジアの半分に相当する11州を担当するチームを10年近く率いてきたコン大佐は、パイリンこそが最も困難な場所だと語る。

 タイと国境を接するカンボジア西部のパイリンは、かつてクメール・ルージュの兵站の中心地かつ基地であり、戦後ほとんど撤去されていない地雷原が残っているため、常に兵士たちの脅威となっている。しかも、ここは山岳地帯で、早朝には霧が立ち込め、一歩足を踏み外せば深い谷底に落ちてしまいかねない。

 ラオスでもカンボジアでも、多くの遺骨は、かつて駐屯地だった洞窟の中で見つかる。朝から夕方まで掘っても数個の岩しかひっくり返せない日もある。爆撃の後に積み重なった、トラックほどの大きさの岩もあり、それを動かすには、脇に深い穴を掘り、岩の支点を見つけて穴に落とし込まなければならない。

 多くの洞窟では、戦争の痕跡がまだ手つかずのまま残っている。崖の奥深くまで貫通した弾痕、山の裂け目に突き刺さった爆弾の破片もある。さらに、爆弾によって洞窟の入り口が崩落し、何十tもの岩の塊が入り口を塞いでいる場所もある。

 山の中腹には、地上から70mを超える高さにも洞窟がある。そこへ到達するために、兵士たちはネズミの巣のような小さなトンネルを少しずつ掘って潜り込まなければならない。頭上にはひび割れた岩が連なり、強い振動が一度でもあれば崩れ落ちるかもしれない。

 「チームが洞窟に入って捜索する際は、1人の兵士が必ず外に立って観察しています。岩が動くのを発見したらすぐに声を上げ、仲間に退避するよう知らせるんです」と、ビン大佐は語る。

 大きな岩の下に遺骨が残っていることが確実であっても、チームには接近する手段がないケースも少なくない。爆薬を使って岩を破壊すれば、山全体が崩れ落ちる可能性がある。兵士たちは、ただ洞窟の入り口で立ち尽くし、無力さを感じるしかない。

 こうした過酷さや危険にもかかわらず、長年にわたり、第589部隊とK73部隊の歴代の兵士たちは、先人たちの遺骨が異国の地のどこかにまだ眠っているという信念を持ち、根気強く捜索を続けてきた。

 しかしながら、年を追うごとに、捜索の緊急性は高まっている。なぜなら、彼らにとって最も恐ろしいのは「時間」だからだ。「かつて戦場を経験した70歳を超える証言者たちの記憶が、唯一の手がかりなんです」と、ビン大佐は語る。

 証言者が、犠牲になったベトナム兵を約80cmの深さに埋葬したと断言するケースもある。しかし、チームが2m以上の深さまで掘っても手がかりは何も見つからない。

 チーム全体がしらみつぶしに掘る方法に切り替え、長さ3m、間隔40cm、深さ2m近くの溝をいくつも掘り、土の層を徐々に取り除いても、それでも何も見つからない。2か月にわたる過酷な作業の末、チームは追加の確認を待つため、やむを得ず別の場所に移動することになる。

 「そういった捜索は少なくありません。希望を胸に抱き、必死で作業を進めても、遺骨はなかなか見つからないんです」とビン大佐は話す。

 山腹を指差して、「当時、ベトナム兵はそこに埋められた」と言う住民もいるが、「そこ」とは数千m2もの広さの丘陵全体だ。半世紀以上が経過し、地形は変わり、土砂崩れや浸食が起こり、森の木々が覆い茂り、小川の流れも変わった。戦争の痕跡は、時間によってほとんど消し去られてしまっている。かつての兵士たちがどこに眠っているのか、誰にも分からない。

 「時間が、最後の証言者たちを奪い去っていくんです」とビン大佐は悲しげに語る。

後編に続く(2026年8月9日配信予定) 

[VnExpress 05:00 27/07/2026, A]
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