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烈士(戦死者)の遺骨を捜す任務に就いて3年になる、北中部地方クアンチ省軍事司令部所属の第584烈士遺骨収集隊のグエン・クアン・ダット大尉は、わずかな希望にすがらざるを得ない捜索に慣れている。ダット大尉と仲間たちは、ダクロン山岳地帯からハイラン、チエウフォンの野原に至るまで、クアンチ省内のかつて戦場だった多くの土地に足を運んできた。
「忍耐力は時に体力よりも重要です。遺骨が正確にどこにあるのかは誰にも分かりませんから」とダット大尉は語る。
烈士が埋葬された場所を、証言者は漠然としか覚えていない。上空からの写真やレーダーによる調査では、疑わしい場所の範囲を絞り込むことしかできないため、人力で数千m2の土地を掘り起こさなければならない。掘り起こした土はまた埋め戻す。来る日も来る日も、鍬が当たるのは土と岩と木の根だけだ。次の発掘で結果が出るとは誰も断言できない。
「丸1週間、何も見つからないこともありますが、道具を片付ける前の最後の最後に痕跡が現れることもあるんです」とダット大尉は話す。痕跡が見つからない捜索が続く一方で、兵士たち自身でさえ説明が難しい奇跡的な出来事も起こる。それが、捜索の旅で彼らの原動力になっている。
ラオスでの任務に10年近く従事しているクアンチ省軍事司令部所属の第589部隊のグエン・バン・フォン中佐は、2016年の乾季にラオスのカムムアン県にあるカト村で捜索した際、15日近く経っても何も発見できず、その日の捜索を最後に撤退することを決めた。
昼になると、一行は撤退する前に3本の線香を焚き、1人の兵士がその地に向かって「もし、今日もここで皆さんを見つけることができなければ、別の場所で仲間を捜すために撤退することをお許しください」と祈った。
祈りの言葉が終わるや否や、ある兵士がさらにもう一度鍬を入れた。すると、鍬の刃が、朽ち果てたゴム草履に当たったのだ。一行はすぐに立ち止まり、さらに広く掘り進めた。ハンモックの雨よけシートが現れ、やがて地中から最初の骨片が姿を現した。
この場所で、チームは2柱の烈士の遺骨を発見した。兵士たちはそれを「仲間の導き」と呼んだが、どうしてこのような奇跡が起きたのか、誰も説明できなかった。
「時間は、烈士の遺骨を捜す過程で最大の困難です。今すぐ見つけなければ、彼らがどこに眠っているのか誰も覚えていないという時が来てしまいます」と、ベトナム烈士家族支援協会の会長を務めるホアン・カイン・フン中将(79歳)は語る。
フン中将によれば、かつて戦闘に参加した退役軍人は現在、少なくとも60代で、多くは70代を超えている。多くの人は以前のように記憶が鮮明ではなく、全員が戦場に戻る体力を持ち合わせているわけでもない。
フン中将は、仲間とともに何度もかつての戦場に戻ったことがある。森を抜けるのに数時間かかる場所もあるが、到着した時にはあらゆる痕跡が消え去っていた。以前は小さな木だけが目印だったにすぎず、今では森全体が姿を変えてしまっている。
一時的に埋葬された土まんじゅう状の墓はもともと簡素なもので、数回の雨季を経ればすべて平らになってしまう。川の底や海の底、あるいは現在では工場や道路、市街地となっている地域に眠る烈士も少なくない。
「いまだに発見されていない約17万5000人の烈士のうち、もし3分の2でも見つけられれば非常に大きな成功です。おそらく、多くの兵士たちを、永遠に帰還させることはできないでしょう」とフン中将は語る。
フン中将は、何十年経っても自分が仲間をどこに埋葬したのか、誰が左に、誰が右に眠っているのか、墓の下には水筒があるのか、それとも万年筆があるのかを正確に覚えている退役軍人もいると話す。証言通りに発掘すると、細部に至るまで、すべてが一致したという。

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