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[特集]

消えゆく証言者の記憶、異国で戦死者の遺骨を捜す兵士たち【後編】

2026/08/09 10:25 JST更新

(C) VnExpress
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 烈士(戦死者)の遺骨を捜す任務に就いて3年になる、北中部地方クアンチ省軍事司令部所属の第584烈士遺骨収集隊のグエン・クアン・ダット大尉は、わずかな希望にすがらざるを得ない捜索に慣れている。ダット大尉と仲間たちは、ダクロン山岳地帯からハイラン、チエウフォンの野原に至るまで、クアンチ省内のかつて戦場だった多くの土地に足を運んできた。

 「忍耐力は時に体力よりも重要です。遺骨が正確にどこにあるのかは誰にも分かりませんから」とダット大尉は語る。

 烈士が埋葬された場所を、証言者は漠然としか覚えていない。上空からの写真やレーダーによる調査では、疑わしい場所の範囲を絞り込むことしかできないため、人力で数千m2の土地を掘り起こさなければならない。掘り起こした土はまた埋め戻す。来る日も来る日も、鍬が当たるのは土と岩と木の根だけだ。次の発掘で結果が出るとは誰も断言できない。

 「丸1週間、何も見つからないこともありますが、道具を片付ける前の最後の最後に痕跡が現れることもあるんです」とダット大尉は話す。痕跡が見つからない捜索が続く一方で、兵士たち自身でさえ説明が難しい奇跡的な出来事も起こる。それが、捜索の旅で彼らの原動力になっている。

 ラオスでの任務に10年近く従事しているクアンチ省軍事司令部所属の第589部隊のグエン・バン・フォン中佐は、2016年の乾季にラオスのカムムアン県にあるカト村で捜索した際、15日近く経っても何も発見できず、その日の捜索を最後に撤退することを決めた。

 昼になると、一行は撤退する前に3本の線香を焚き、1人の兵士がその地に向かって「もし、今日もここで皆さんを見つけることができなければ、別の場所で仲間を捜すために撤退することをお許しください」と祈った。

 祈りの言葉が終わるや否や、ある兵士がさらにもう一度鍬を入れた。すると、鍬の刃が、朽ち果てたゴム草履に当たったのだ。一行はすぐに立ち止まり、さらに広く掘り進めた。ハンモックの雨よけシートが現れ、やがて地中から最初の骨片が姿を現した。

 この場所で、チームは2柱の烈士の遺骨を発見した。兵士たちはそれを「仲間の導き」と呼んだが、どうしてこのような奇跡が起きたのか、誰も説明できなかった。

 「時間は、烈士の遺骨を捜す過程で最大の困難です。今すぐ見つけなければ、彼らがどこに眠っているのか誰も覚えていないという時が来てしまいます」と、ベトナム烈士家族支援協会の会長を務めるホアン・カイン・フン中将(79歳)は語る。

 フン中将によれば、かつて戦闘に参加した退役軍人は現在、少なくとも60代で、多くは70代を超えている。多くの人は以前のように記憶が鮮明ではなく、全員が戦場に戻る体力を持ち合わせているわけでもない。

 フン中将は、仲間とともに何度もかつての戦場に戻ったことがある。森を抜けるのに数時間かかる場所もあるが、到着した時にはあらゆる痕跡が消え去っていた。以前は小さな木だけが目印だったにすぎず、今では森全体が姿を変えてしまっている。

 一時的に埋葬された土まんじゅう状の墓はもともと簡素なもので、数回の雨季を経ればすべて平らになってしまう。川の底や海の底、あるいは現在では工場や道路、市街地となっている地域に眠る烈士も少なくない。

 「いまだに発見されていない約17万5000人の烈士のうち、もし3分の2でも見つけられれば非常に大きな成功です。おそらく、多くの兵士たちを、永遠に帰還させることはできないでしょう」とフン中将は語る。

 フン中将は、何十年経っても自分が仲間をどこに埋葬したのか、誰が左に、誰が右に眠っているのか、墓の下には水筒があるのか、それとも万年筆があるのかを正確に覚えている退役軍人もいると話す。証言通りに発掘すると、細部に至るまで、すべてが一致したという。

 体力的に戦場に戻ることはできないものの、自らの手で墓の位置を示す図面を描き直す人もいる。部隊はその図面を記録と照らし合わせ、残された痕跡をもとにさらに確認を続ける。「すべてのデータが一致すれば、信頼性は非常に高くなります」とフン中将は語る。

 50年にわたり、歴史的証拠と証言に基づいて身元を確認する実証的な方法が、戦場で烈士を捜索する唯一の手段だった。

わずかな希望

 5月下旬の数日間、南部地方タイニン省軍事司令部所属のK73部隊はカンボジアのスヴァイリエン州の野原の真ん中にいた。そこはかつて、ベトナム兵とクメール・ルージュ軍との間で激しい戦闘が行われた場所だ。10年以上前にも、部隊はこの場所で何度も1ha近い土地を掘り返したが、何の痕跡も見つけられなかった。

 今回の再訪では、かつてその戦闘に参加した北部出身の70代のベトナム人退役軍人2人が自ら志願して同行し、希望が生まれた。

 位置を特定した後、固い地面に最初の鍬が振り下ろされた。兵士たちは鋸歯状に溝を掘り、捜索面積を徐々に四方へと広げていった。土の下の烈士たちに「これ以上痛い思いをさせない」ように、慎重に土の層が取り除かれた。

 しかし、丸1週間が経っても捜索に進展はなかった。

 そんな中、カンボジア人の老人の話で転機が訪れた。老人は、かつてベトナム兵が駐屯していた場所の近くに、ずいぶん前に埋め立てられた水路があったことを覚えていたのだ。

 この小さな手がかりは、すぐに2人の退役軍人の記憶と照合された。その後、チームは捜索の方向を変更した。最初に鍬が当たったのは岩や木の根ばかりだったが、その後、土の色が突然変わった。部隊は希望を胸に、軽く鍬を入れ始め、土の層を薄く少しずつ剥がしていった。

 そして、深さ1m近い土の層の下から、朽ち果てたハンモックの破片、遺体袋、錆びたAK47ライフルが徐々に現れると、一行が歓喜に沸いた。そこには、3柱の烈士の遺骨が並んでいた。2人の退役軍人は抱き合って号泣し、穴から引き上げられた仲間の遺骨も抱きしめた。

 「皆さんの同志や仲間への思いがどれほど尊いものかを深く感じるほど、我々は任務を完遂する決意をさらに強くするんです」とK73部隊のチャン・チー・コン大佐は語る。

 25回の乾季にわたってカンボジアでの任務を遂行する中で、K73部隊は3036柱の烈士の遺骨を収集したが、身元や所属部隊が判明したのはわずか168柱と、約5%に過ぎない。

 コン大佐によれば、野生動物に掘り返されないよう、大半の烈士は少なくとも1mの深さの穴に埋葬された。数十年の時を経て、土は石のように固くなり、鍬を振り下ろすたびに跳ね返されるほどで、兵士たちは汗をかき、手に血をにじませながら、交代して作業を進める。

 地中では、烈士たちの身元を特定する痕跡もほとんど残っていない。残っているのは、水筒、タイヤを再利用したサンダル、櫛、指輪、雨よけシートくらいだ。

 かつては、後で仲間が身元を確認できるように、多くの部隊が名前や出身地、部隊番号を小さな紙片に丁寧に書き、ペニシリンの瓶に入れて遺体のそばに置いていた。そのため、穴の中でペニシリンの瓶を発見するたびに、隊員らの士気は大きく高まった。

 しかし、何十年も経つとインクの跡のほとんどは消え去り、空気に触れると紙片さえも粉々に砕け散ってしまう。「我々はペニシリンの瓶を水を張った容器に浸け、開ける前に筆跡を識別するために写真を撮ろうとしたこともありましたが、どれも失敗に終わりました」とコン大佐は話す。

 K73部隊の兵士たちは、発見の可能性を高めるため、カンボジアの退役軍人や住民からのすべての情報を慎重に記録し、照合して地図上に落とし込んでいる。具体的な座標がある地点は地図に記され、根拠が不十分な場所は範囲を絞り込み、証言者を探し、相手国の当局と協力して確認を行ってから捜索を実施する。しかし、成功率は依然として非常に低い。

 フン中将は、実証に基づく方法が徐々に限界に達しつつあることを認めている。かつて仲間が犠牲になったのを直接目撃した人々は日に日に少なくなっている。多くは亡くなり、存命の人も記憶がもはや完全ではない。

 戦場だった場所も日々変化しており、証言者でさえ元の場所を再び特定することが困難になっている。たとえ場所が特定できたとしても、烈士の身元を確認するための有益な手がかりを見つけられる可能性はわずかだ。

 新しい捜索地域でショベルカーが表土を剥がし終えるたび、現場全体は静まり返る。クアンチ省軍事司令部所属の第584烈士遺骨収集隊の隊員が、それぞれ小さな区画を受け持ち、鍬、シャベル、左官ごてを使い、黙々と薄い土の層を削り取っていく。

 第584部隊の副隊長であるグエン・チュン・タイン中佐は、いつものように掘った穴に降り、握りこぶし大の土の塊を拾い、軽く握って土を崩してから、うつむいて観察する。この動作が毎日何百回も繰り返される。遺骨を捜す兵士たちにとって、それは1本の歯や小さな骨片も見逃さないための唯一の方法なのだ。

 「戦死から50年以上経過した遺骨は大部分が分解されています。土に紛れた数本の歯しか残っていないケースも多く、見分けるのが非常に困難です。もし急いでシャベルですくい、土を捨ててしまえば、痕跡も失われて、その烈士の身元を確認する機会は閉ざされてしまいます。烈士たちは国のために犠牲になりました。我々は最大限の敬意をもって、遺骨を引き上げなければならないんです」とタイン中佐は語る。

 タイン中佐によれば、以前は発見された遺骨のほとんどに遺品が残されていたものの、名前や番号、身分証明書などはなかった。収集作業が完了した後、遺骨は「情報未確認の烈士」として烈士墓地に運ばれていた。しかし現在では、DNA鑑定技術のおかげで、身元確認の可能性はますます高まっている。

 フン中将は、「烈士の遺骨捜索・収集・身元確認を強化する500日間集中プロジェクト」が特別な意味を持つ理由は、規模だけでなく、従来とは全く異なるアプローチにあると話す。

 以前は、各地方や部隊が独自の計画に基づいて捜索を展開していたため、規模が小さく、運営が統一されていなかった。烈士の遺骨の捜索・収集・身元確認の活動が、軍や政策部門だけの任務としてではなく、国家規模のプロジェクトとなったのは今回の「500日間集中プロジェクト」が初めてだ。

 「以前の烈士捜索は、主に遺骨を見つけることでした。しかし今、目標はそれにとどまらず、彼らの『本来の名前を取り戻す』ことでもあるんです」とフン中将は語る。

 内務省傘下功労者局のブー・ゴック・トゥイ副局長も、中央から地方、軍、警察、科学機関、DNA鑑定機関、各レベルの指導委員会に至るまで、すべての関係機関・組織が統一されたプロジェクトに参加するのは今回が初めてだと語る。「これほど大規模に総力を結集したことは、かつて一度もありませんでした」とトゥイ副局長は話す。

 「500日間集中プロジェクト」を予定通り進めるため、K73部隊の兵士たちは今年の乾季にあたる10月ごろにカンボジアに入り、そのまま現地で2027年のテト(旧正月)の大みそかを迎える予定だ。

 今回、部隊は7月初旬にある退役軍人から送られてきた図面により、新たな捜索地点を1か所特定した。その図面には、数本の鉛筆の線と殴り書きの注釈が添えられていた。

 図面には、1979年にカンボジアのバタンバン州で犠牲となった、第3軍団第234防空旅団所属の34人の烈士が眠っているとみられる位置が記されていた。電話越しに、その退役軍人は3人の将校の名前と階級しか思い出せなかった。

 「ぼやけたインクの跡や古い地図のような小さな手がかり1つでも、烈士たちが1日も早く家族のもとへ帰る道を開いてくれるんです」と、K73部隊の隊長は語った。 

[VnExpress 05:00 27/07/2026, A]
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