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体力的に戦場に戻ることはできないものの、自らの手で墓の位置を示す図面を描き直す人もいる。部隊はその図面を記録と照らし合わせ、残された痕跡をもとにさらに確認を続ける。「すべてのデータが一致すれば、信頼性は非常に高くなります」とフン中将は語る。
50年にわたり、歴史的証拠と証言に基づいて身元を確認する実証的な方法が、戦場で烈士を捜索する唯一の手段だった。
わずかな希望
5月下旬の数日間、南部地方タイニン省軍事司令部所属のK73部隊はカンボジアのスヴァイリエン州の野原の真ん中にいた。そこはかつて、ベトナム兵とクメール・ルージュ軍との間で激しい戦闘が行われた場所だ。10年以上前にも、部隊はこの場所で何度も1ha近い土地を掘り返したが、何の痕跡も見つけられなかった。
今回の再訪では、かつてその戦闘に参加した北部出身の70代のベトナム人退役軍人2人が自ら志願して同行し、希望が生まれた。
位置を特定した後、固い地面に最初の鍬が振り下ろされた。兵士たちは鋸歯状に溝を掘り、捜索面積を徐々に四方へと広げていった。土の下の烈士たちに「これ以上痛い思いをさせない」ように、慎重に土の層が取り除かれた。
しかし、丸1週間が経っても捜索に進展はなかった。
そんな中、カンボジア人の老人の話で転機が訪れた。老人は、かつてベトナム兵が駐屯していた場所の近くに、ずいぶん前に埋め立てられた水路があったことを覚えていたのだ。
この小さな手がかりは、すぐに2人の退役軍人の記憶と照合された。その後、チームは捜索の方向を変更した。最初に鍬が当たったのは岩や木の根ばかりだったが、その後、土の色が突然変わった。部隊は希望を胸に、軽く鍬を入れ始め、土の層を薄く少しずつ剥がしていった。
そして、深さ1m近い土の層の下から、朽ち果てたハンモックの破片、遺体袋、錆びたAK47ライフルが徐々に現れると、一行が歓喜に沸いた。そこには、3柱の烈士の遺骨が並んでいた。2人の退役軍人は抱き合って号泣し、穴から引き上げられた仲間の遺骨も抱きしめた。
「皆さんの同志や仲間への思いがどれほど尊いものかを深く感じるほど、我々は任務を完遂する決意をさらに強くするんです」とK73部隊のチャン・チー・コン大佐は語る。
25回の乾季にわたってカンボジアでの任務を遂行する中で、K73部隊は3036柱の烈士の遺骨を収集したが、身元や所属部隊が判明したのはわずか168柱と、約5%に過ぎない。
コン大佐によれば、野生動物に掘り返されないよう、大半の烈士は少なくとも1mの深さの穴に埋葬された。数十年の時を経て、土は石のように固くなり、鍬を振り下ろすたびに跳ね返されるほどで、兵士たちは汗をかき、手に血をにじませながら、交代して作業を進める。
地中では、烈士たちの身元を特定する痕跡もほとんど残っていない。残っているのは、水筒、タイヤを再利用したサンダル、櫛、指輪、雨よけシートくらいだ。
かつては、後で仲間が身元を確認できるように、多くの部隊が名前や出身地、部隊番号を小さな紙片に丁寧に書き、ペニシリンの瓶に入れて遺体のそばに置いていた。そのため、穴の中でペニシリンの瓶を発見するたびに、隊員らの士気は大きく高まった。
しかし、何十年も経つとインクの跡のほとんどは消え去り、空気に触れると紙片さえも粉々に砕け散ってしまう。「我々はペニシリンの瓶を水を張った容器に浸け、開ける前に筆跡を識別するために写真を撮ろうとしたこともありましたが、どれも失敗に終わりました」とコン大佐は話す。
K73部隊の兵士たちは、発見の可能性を高めるため、カンボジアの退役軍人や住民からのすべての情報を慎重に記録し、照合して地図上に落とし込んでいる。具体的な座標がある地点は地図に記され、根拠が不十分な場所は範囲を絞り込み、証言者を探し、相手国の当局と協力して確認を行ってから捜索を実施する。しかし、成功率は依然として非常に低い。

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