入院中、傷病兵が次々と搬送される一方で、医療従事者が足りていない状況を目の当たりにし、ドーさんは進路を変えることを決意した。「戦友たちの苦しみを目の当たりにして、医師になり、仲間の治療に当たりたいと強く思いました」とドーさんは語る。
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1970年、ドーさんはハノイ医科大学に合格した。6年間学んだ後、北部地方バクニン市(旧バクニン省)のトゥアンタイン傷病兵療養センターで医務部長に着任した。
同センターは、労働能力の81%以上を失った脊髄まひの傷病兵を専門に受け入れる施設だった。ドーさんは毎日、褥瘡の処置を自ら行った。痛みのあまり患者がいらだちを見せても、ドーさんは忍耐強く介助を続けた。
トゥアンタイン傷病兵療養センターで9年間勤務した後、旧労働傷病兵社会省に異動し、義足製造プロジェクトに参加した。この時期、労働社会大学でドイツが支援する義肢装具技術者養成プロジェクトの講師を務めた。また、オランダでこの技術に関する6か月間の専門研修を受けた。
貧しい傷病兵や障がい者の多くが義肢を装着する費用を賄えない現状を目の当たりにしたドーさんは、定年退職を間近に控えた2004年、無料の義肢装具工房を開設することを決意した。
周囲の反対を押し切り、妻や子どもの賛同を得て、貯金をすべて投じ、さらに数億VND(1億VND=約60万円)を借り入れて集合住宅にある自宅を工房に改装した。
2005年、ドーさんは元教え子たちにも声をかけ、5人のメンバーで工房の活動を開始した。ドーさんは毎月、年金の一部を作業員の給与や設備の改良費用に充てている。
材料費については、米国、ドイツ、オランダ、オーストラリア、韓国などの非政府組織(NGO)に自ら働きかけ、支援を募っている。すべての症例について詳細な予算計画を作成し、申請書類を支援団体に送って審査を受けている。
当初は北部からの患者が中心だったが、工房はすぐに全国の退役軍人や交通事故の被害者、生まれつき障がいのある子どもたちを受け入れるようになった。義肢1本あたりの製作費用は数百万~数千万VND(100万VND=約6000円)に上るが、すべて慈善家や支援団体の寄付によって賄われている。
工房の最大の問題は、業務時間と患者の到着時刻のずれだ。始業時間は午前8時と定められているものの、遠方からの患者の多くは夜行バスを利用し、早朝にハノイ市へ到着する。そのため、ドーさんはいつも早起きして患者を出迎え、診察や採寸を行っている。









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