ベトナム英雄の母のほかに、祖母の代から平和が訪れるまでの間に戦死した、血縁関係にある14人の戦争烈士がおり、いずれもフオックさんの家族が祀っている。
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14人の戦争烈士とベトナム英雄の母がいるにもかかわらず、フオックさんによると、カムサーの他の家族に比べれば「何ということもない」という。ここでは「外に出れば英雄に会う」というのは冗談ではなく、事実なのだ。
フオックさんによると、この村はかつて、海の近くにあり、周りを白い砂丘に囲まれていた。人々は貧困に苦しみながらも、革命に対して特別な忠誠心を持っていたそうだ。
1967年から1968年にかけて、カムサーは激しい戦場となった。兵士やゲリラは村人に紛れて活動し、守られていた。昼間は何事もないかのように畑仕事に出かけ、夜になるとゲリラに変貌した。
1968年、韓国軍の部隊が掃討作戦のために村に入った。カムサーの住民は生き延びるために互いに助け合いながら、少し離れた村まで避難した。そして人々は、ベトナム戦争が終結した1975年以降にようやく、村を再建するためにカムサーに戻った。
旧ディエンナムゴック街区人民委員会の庁舎の隣には、戦争烈士の慰霊碑がある。慰霊碑には、戦争烈士やベトナム英雄の母の名前がびっしりと刻まれている。毎日、ここの線香の煙が絶えることはない。
慰霊碑には毎年、新たな名前が刻まれる。過去には登録されていなかったものの、政策文書の処理後に、戦争烈士やベトナム英雄の母として国から称号を授与されるケースがあるからだ。新しい名前は小さな碑に刻まれ、大きな石碑と一緒に設置される。
戦争傷病者・烈士記念日である7月27日は、村全体が感謝と恩返しの活動に注力する、最も特別な日となっている。この時期には、中央政府や省レベル、郡レベルなどさまざまな代表団が次々にこの地を訪れる。どの家庭も戦争烈士を祀っているため、通りが車両で埋まることも珍しくない。