1973年に国道5号線沿いに引っ越してから、ダオ・ティ・リエンさん(女性・75歳)は国道で数多くの悲惨な交通事故を目撃した。そして夫と話し合い、自宅の1室を救護所にし、けが人を無料で受け入れることに決めた。
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
リエンさんはかつて、北部紅河デルタ地方ハイズオン省キムタイン郡総合病院(現在の郡医療センター)の外科・産科のフィジシャンアシスタント(PA)だった。1973年に夫妻は同省キムタイン郡フックタイン村ズオンタイチュン村落を通る国道5号線沿いの土地を割り当てられ、そこに一軒家を建てた。
リエンさんによると、この地域は人口が密集し、近くには3つの学校があり、鉄道の線路も通っていた。リエンさんはここで数多くの交通事故を目撃し、応急処置が受けられず命を落とす人々を目にしてきたことから、自ら救護所を設置することを考えついた。
医師の監督のもとで医療行為を行うPAとしての経験を活かし、リエンさんは自宅の小さな1室を交通事故に遭ってけがをした人に応急処置を施すための救護所にし、自費で医療機器を購入したい、と夫に相談したところ、夫も賛成してくれた。そして1978年初めのある日、リエンさんの救護所が始動した。
救護所を始めたばかりのころ、リエンさんは自分に関するたくさんの噂話を耳にした。救護所を設置したのは利益を得て収入を増やすためだと言う人や、お金のことを心配し過ぎて気が狂ったんだろうと言う人もいた。「私はただ人を救いたかっただけなので、他人からどう思われようが気にしませんでした」とリエンさん。
リエンさんは、近くで交通事故に遭った人がいれば駆けつけて救護を行った。軽傷であれば傷口をきれいにして包帯を巻き、重傷の場合は応急処置を施してから郡の病院に搬送した。けが人のために必死で救護に向かうリエンさんの姿は、徐々に地元住民からもなじみのある存在になっていった。