南部地方タイニン省チャンバン街区のチャンバン郵便局の門前に、40年近く前から営業している小さな新聞スタンドがある。地元の多くの人にとって、ここは毎朝新しい新聞を売っている場所というだけでなく、過ぎ去った青春の思い出が詰まった場所でもある。
![]() (C) thanhnien |
![]() (C) thanhnien |
![]() (C) thanhnien |
新聞スタンドの主は、40年以上にわたりホーチミン市の新聞社とタイニン省の読者を繋ぐ架け橋となってきたブオン・バン・ヒエンさんだ。多くの人は親しみを込めて「ヒエンおじさん」と呼ぶ。これは、チャンバンの紙の新聞の歴史の一部となっている彼にこそふさわしい呼び方だ。
ただの普通の新聞売りではあるが、ヒエンさんは、「紙の新聞を読む」という地元の人々の習慣を粘り強く守り続けている数少ない人物の1人だ。年齢や時代に縛られることなく、読者に直接手渡される新聞は、情報、知識、そして互いの思い出が交わる接点となっている。
変わらぬ街角の小さな存在
ヒエンさんは、旧チャンバン町の旧市場エリアで生まれ育った。1976年、ヒエンさんは軍隊に入隊し、5か月近くの訓練を経た後、1977年に第7軍区第23通信連隊(E23)での任務に就いた。
その後の数年間、ヒエンさんは極めて過酷な状況の中で、南部メコンデルタ地方の国境地帯やカンボジアの戦場で戦闘に参加した。そして、1981年に除隊して地元に戻った。ヒエンさんは、軍隊での貢献により、当時の国防相だった故バン・ティエン・ズン大将から賞状を授与される栄誉に浴した。
戦場で銃を握った歳月を経て、ヒエンさんが全く別の「戦線」、つまり故郷の人々にニュースを届けることに深く関わるようになるとは、ほとんど誰も予想していなかった。
1985年頃、紙の新聞との縁が、ヒエンさんを旧チャンバン郡人民委員会の門前に設置された小さな新聞スタンドへと導いた。当時、紙の新聞は単なる紙の印刷物ではなく、時代の息吹や国の変化、社会生活を伝える貴重な情報源だった。
その小さな新聞スタンドから、ヒエンさんと中学校の教師である妻は、一見シンプルでありながらも意義深い仕事を、共に粘り強く築き上げてきた。40年近くにわたり、彼らはジャーナリズムと読者、そして伝統的な活字文化と絶えず進化するテクノロジーの流れを繋ぐ架け橋として、静かにその役割を果たしてきた。
インターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の発展に伴い、多くの新聞スタンドが徐々に姿を消していく中、ヒエンさんの新聞スタンドは、今もなじみのある街角に存在している。小さくとも粘り強く、デジタル時代の波に飲み込まれることなく、今日もその存在感を保ち続けている。




)
)
)
)
免責事項
)
)
)
)
)
)
)
)

)
)
)

)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)
)