世紀をまたぐ渡し守
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生計を立てるために長年苦労したが、ヒエンさんの新聞スタンドは1990年頃になると徐々に安定し、チャンバンの人々のなじみの場所となった。新聞スタンドは、最初の場所からチャンバン郵便局の前、現在のグエンチャイ高校の近くに移った。時が経つにつれ、「ヒエンさんの新聞スタンド」という名前は、この地の朝の生活リズムの一部となった。
インターネットがまだ普及していなかった頃、テレビやラジオと並んで、紙の新聞は多くの人が毎日待ち望む情報源だった。朝の6時ちょうど、ヒエンさん夫婦が素早く紐を解き、新聞の束をスタンドにきちんと並べる姿がよく見られた。常連客と店主は、ほとんどお互いの名前や顔を覚えており、古い友人のように毎日顔を合わせていた。
また、その小さな新聞スタンドから、何世代にもわたる学生たちが「ムックティム(Muc Tim=紫のインク)」や「ホアホックチョー(Hoa Hoc Tro=学生の花)」といった出版物や、日本の有名な漫画のシリーズを初めて知ることになった。週に1日しか発行されない漫画を買うためだけに、朝早くから自転車で立ち寄る学生も少なくなかった。
お年寄りにとっては、「タインニエン(Thanh Nien=青年新聞)」、「コンアン・タインフォーホーチミン(Cong An TP.HCM=ホーチミン市警察新聞)」、「タイニン(Tay Ninh=タイニン省新聞)」といったおなじみの新聞の時事欄やスポーツ欄が楽しみだった。新聞スタンドに到着するのが遅くなっていつもの新聞を買えなかった日には、お年寄りたちはその日の慣れ親しんだ習慣を1つ逃したように感じた。
新聞スタンドは家族を養うだけでなく、ヒエンさん夫婦が2人の子どもを学校に通わせる助けにもなった。長年の伴侶だった妻が脳卒中で突然亡くなった2018年、ヒエンさんは乗り越えがたいほどの喪失感に襲われた。しかし、こうした苦難を乗り越え、ヒエンさんはいつもの仕事に戻り、何十年も続けてきたように今も毎朝新聞スタンドを開けている。
ヒエンさんにとって、これは単なる生計の手段ではなく、チャンバンの歴史の一部を守る手段でもある。そして、この新聞スタンドは、この地の活字文化を語る際に多くの人が今もなお思い浮かべる場所なのだ。
デジタル時代の新鮮な体験
デジタル技術の急速な発展を前にして、ヒエンさんの新聞スタンドも影響を免れることはできなかった。スマートフォンでニュースが毎秒更新されるこの時代に、紙の新聞は印刷や輸送に時間がかかり、読者は店まで買いに行かなければならない。スマートフォンの画面からの光が、新しい新聞から漂う懐かしいインクの匂いを徐々に打ち消しているようだ。




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