「ホロコースト」生き証人が初訪越、ハノイで講演

2023/03/31 14:47 JST配信

 ベトナム平和委員会、国連ベトナム事務所、在ベトナム・イスラエル大使館在ベトナム・ドイツ大使館は29日、ホロコーストの犠牲者を追悼する式典をハノイ市で開いた。

(C) tuoitre
(C) tuoitre

 式典では、ベトナムを初めて訪れたという、ホロコーストの生存者であるベター・エッペルさん(女性・88歳)が、自身の歴史を語った。

 エッペルさんは、南フランスのキリスト教の家庭にかくまわれ、1942~1945年のナチスドイツの弾圧を生き延びた。

 「家族はポーランド出身で、私たちはフランスで生活していました。結婚する前の私の姓はLewkowitzでした。私が5歳の時にナチスドイツがフランスを侵攻し、私たち家族は毎日、祈りをささげていました」とエッペルさんは幼少期を思い出す。

 エッペルさんは当時、両親と2人の弟と生活していた。1940年6月にフランスは降伏、フランスの国土の半分が、ドイツに占領された。

 1942年9月のある日、エッペルさんの父親が帰宅するなり、エッペルさんを家の片隅に連れて行き、こう言った。「今日からお前は新しい名前になった。名字はLewkowitzじゃない。誰かに何か聞かれても、ユダヤ人ではないと答えなさい」。

 エッペルさんと5歳の弟はその後、夜中に少しのパンと水を持たされて、国境近くの場所へと連れて行かれた。腹を空かせ、寒さのなか、長い道のりを行き、彼らはフランス南部の農場で、ある夫婦のもとで生活することになる。

 ここでエッペルさんは、キリスト教の学校で学び、キリスト教の教会に通うようになるが、自分がユダヤ人であることを忘れたことは、ただの一度もなかったという。

 当時7歳だった彼女はその頃から、母親と一番下の弟との連絡はできなくなった。その2人がアウシュビッツで亡くなったことを知ったのは、それから20年あまり後のことだった。

 その後エッペルさんはイスラエルに戻り結婚、子供をもうけた。エッペルさんの父親も戦争を生き延び、再婚した。

 エッペルさんは、自分をかくまい、養ってくれた両親への恩は忘れないという。「育ての両親には叙勲の話もあったようですが、辞退されました。『私を養えたことが、ご褒美のようなものだ』と言っていました」とエッペルさんは話した。

[Tuoi Tre 21:36 29/03/2023, F]
※VIETJOは上記の各ソースを参考に記事を編集・制作しています。
© Viet-jo.com 2002-2025 All Rights Reserved 免責事項

新着ニュース一覧

 文化スポーツ観光省は、「フエのブンボー(ブンボーフエ)に関する民俗知識」を国家無形文化遺産として登...
 あるタトゥーアーティストが最近、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に投稿した画像が大き...
 ホアン・スアン・チエン国防次官は9日、9月2日の8月革命80周年(1945年8月19日~2025年8月19日)と建国80...
慣れない海外生活、急病や事故
何かあってからでは遅い!
今すぐ保険加入【保険比較サイト】
(※本記事はVIETJOベトナムニュースのオリジナル記事です。) 【ロンドン編】はこちら 【パリ編】は
 「ベトナムとの公正なエネルギー移行パートナーシップ(JETP)」事務局と国際パートナーグループ(IPG)、...
 財政省傘下統計局(NSO)によると、7月1日付けで全国63省・市から34省・市に再編された新たな行政区ベー...
 サッカーベトナム1部Vリーグ1のハノイFCは10日、手倉森誠監督(57歳)との契約更新を発表した。契約期間...
 ホーチミン市は、3省・市の合併により人口が990万人から1370万人に増加した。一方で、病院数は134か所...
 韓国ロッテグループのロッテショッピング(Lotte Shopping)は今後、ベトナムにショッピングモールを2~3...
 日本貿易振興機構(ジェトロ)は、7月24日(木)のベトナム時間14時00分から15時30分まで(日本時間16時00分...
 財政省傘下統計局(NSO)はこのほど、2025年1~6月期の国内総生産(GDP)成長率が+7.52%だったことを踏ま...
 ホーチミン市保健局は、旧ホーチミン市内の病院・医療センター124か所を評価した2024年版の結果を公表...
 地場系コングロマリット(複合企業)ビングループ[VIC](Vingroup)傘下の電
 ホーチミン市のサイゴンハイテクパーク(SHTP)管理委員会はこのほど、CMC技術
 ベトナム・ロシア熱帯センターが発表した最新の研究によると、過去20年間で南中部地方カインホア省のニ...
トップページに戻る