生きた「戦死者」、生き返りを17年間要求

2010/11/28 06:33 ICT配信

 一度「戦死者」として認定されてしまうと、その後「生き返る」ことは困難を極めるようだ。17年間にわたって戦死者名簿からの削除を求め続けているが、今もまだ認めてもらえない生きた「戦死者」がいる。

 ファム・バン・ナム(55歳)は1973年に軍に入隊し、1978年にベトナム国境近くのカンボジア北西部スバイリエン州での激しい戦闘に参加した。ナムの属していた第165連隊の多くの兵士が死傷し、彼も瀕死の重傷を負った。

 その後味方に助け出されて病院に運ばれ、命を取り留めることができた。しかしこの情報は上層部に伝わっておらず、軍はナムの家族に戦死通知を送った。このときからナムは生きながら「戦死者」となった。

 ナムは1985年から紅河デルタ地方ビンフック省の傷病兵施設でリハビリ治療を受け、この時知り合った看護師の女性と結婚した。1993年に故郷のハドン町(現在のハノイ市ハドン区)に妻子と共に戻ったとき、彼ははじめて自分が「戦死者」であることを知った。

 それからの17年間、ナムは何度も戦死通知の撤回を求めて役所に足を運んだ。1995年にはハソンビン省(当時)の軍事指揮部に、自分の戦死通知と祖国功労表彰状を返しに行った。また、ハノイ市の労働傷病兵社会省に乗り込んで、戦死者名簿からの削除を求めたこともある。しかし願いが聞き届けられることはなかった。

 昨年2月にはハノイ市軍事指揮部から、祖国防衛戦争で功労のあった人に贈られる勲章受章者名簿の通知があった。その名簿にはナムの名前も記されていたが、依然として戦死者の名簿に登載されていた。

 戦死者として扱われているために、彼は傷病兵として本来受けることのできる優遇制度を受けることができないでいる。その一方で、彼の実家では1978年から1982年までは戦死者遺族手当を受けていたが、その後手当の支払いはストップされたままだという。

 ナムはこれからも戦死者名簿から自分の名前を削除するよう当局に求めていく決意を示したが、最後に「いつまで戦死者として生き続けなければならないのか。おそらく本当に死ぬまで続くのだろう」と寂しそうに語った。(敬称略)

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