式典まで残り1週間しかない。切羽詰まった彼らは、バックマイ無線局の小規模な信号送信所で送信機を管理していた技術者のクン氏を訪ねたのだった。
![]() (C) znews |
![]() (C) znews |
バックマイ無線局は、もともと1912年にフランス人が建設した近代的な大型無線施設だ。かつてはハノイ・サイゴン・パリ間のモールス信号通信の中心地で、ハノイ市のファングーラオ通り4番地にあった信号受信センターとケーブルで接続されていた。
政権を掌握した後は、国防省がバックマイ無線局と信号受信センターの全設備を管理するようになった。クン氏とズオン・クアン・チ氏、そしてバックマイ無線局の技術チームは、モールス信号送信機を改造して、ラジオ送信機を製作した。
9月1日の夜、ラム氏が「明日、独立宣言の式典を生放送できるか」と尋ねたところ、クン氏は「やるだけやってみましょう」と答えた。
9月2日、クン氏はラジオ送信機をディンレー通り4番地に運び、バーディン広場での集会の様子を仮設の裸線(絶縁されていない電線)で試験放送した。
ホー主席が読み上げた独立宣言は、建物の屋根に設置したアンテナを通じてバーディン広場から空へと発信されたが、裸線だったために放送範囲は限られ、音質も良くなかった。それでも、一部の場所では耳を澄ませば聞き取ることができた。
9月2日のこの試験放送を経て、チームは国家ラジオ放送局の立ち上げ準備をさらに加速した。それから間もなく、バックマイ無線局はバックマイ送信所となり、1945年9月7日に国家ラジオ放送局が正式に開局した。
1945年9月7日午前11時30分、ベトナム語による最初の放送が行われた。「こちらはベトナムの声です。ベトナム民主共和国の首都、ハノイからお送りしています」というフレーズで始まり、BGMには音楽家のグエン・ディン・ティー氏が作曲した「ジエットファットシット(Diet Phat Xit=『ファシストを殲滅しよう』の意)」が流れていた。
番組の中では、ベトナム民主共和国の建国を宣言するホー主席の独立宣言の全文が繰り返し放送された。独立宣言は、フランス語、英語・中国語にも翻訳された。
ファム・バン・ドン首相は、書籍「ベトナムの声の半世紀」の序文にこう記している。「あの時間はたった90分間にすぎないが、永遠にベトナム人の記憶に刻まれることだろう」。