バックマイ送信所はまた、1946年に全国民に抗戦を呼び掛ける特別番組を放送した場所でもある。ズオン・ベト・ティエン氏の書籍とベトナムの声放送局の歴史資料によれば、1946年12月19日正午、編集チームはカンベッタ通り(現在のチャンフンダオ通り)で作業していたところ、ダイラー通り128C番地に移動せよとの緊急かつ極秘の命令を受けた。
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その日の午後、国防相 兼 ベトナム国家軍総司令官のザップ氏が、全軍に向けて、攻撃開始時刻は12月19日20時との極秘命令を出した。これに加えて、ベトナムの声放送局が「国民の皆さん、ご注目ください!国民の皆さん、ご注目ください!全国抗戦開始です!」と放送すれば、それが前線部隊への攻撃開始の合図になる手はずだった。
20時ちょうど、街の明かりが消え、ハノイ市に大砲の轟音が鳴り響いた。その日の放送を担当したアナウンサーのズオン・ティ・ガン氏はその瞬間をこう語る。
「頭の中はごちゃごちゃ、心臓はバクバクしながら、放送のボタンを手で強く押しました。瞬時に落ち着きを取り戻し、力強く、はっきりと読み上げました。『国民の皆さん、ご注目ください!国民の皆さん、ご注目ください!ハノイ市に大砲の轟音が鳴り響きました。全国抗戦開始です!以下は国防省からの命令です。祖国が危機に瀕しています!戦いの時が来ました!』と」。
放送直後、放送局の電気エリアが爆撃された。作業班はすぐに外へ避難し、車に飛び乗って、翌朝6時の放送に間に合うよう、ハノイ市郊外のチャム洞窟へ移動した。
そして、翌日の12月20日、再びラジオでガン氏の声が響いた。「こちらはベトナムの声です。ベトナム民主共和国の首都、ハノイからお送りしています」。
この放送で、全国民に抗戦を呼び掛けるホー主席の全国抗戦宣言が流れた。この放送は、民族の長期にわたる抗戦の中で、ベトナムの声放送局にとって忘れがたい節目となった。
1945年9月2日の独立宣言の試験放送から、抗戦の時代を経て、ベトナムの声放送局は絶えず放送を続けてきた。これにより、ベトナムの声放送局は今もなお、政府と国民をつなぎ、ベトナムの声を世界に届ける架け橋となっている。