2月27日は「ベトナムの医師の日」で、医療の伝統を重んじ、国民の健康に貢献した団体と医療関係者を顕彰する日となっている。
(C) dantri、25歳のアンリエット女史 |
(C) dantri |
西洋医学が入ってくる前、ベトナムでは病気の治療というと祈祷師や助産師、漢方薬に頼っていた。しかし、ベトナムがフランスの植民地支配のもとに置かれると、国内でも医師や診療所のシステムが徐々に広がっていった。
ベトナム人もそれに従い、西洋医学にアプローチするようになった。こうした中、アンリエット・ブイ・クアン・チエウ(Henriette Bui Quang Chieu)女史は、ベトナムで最初の女性医師となった。
アンリエット女史は、1945年以前のナムキー(南析)で特に名が知られていたブイ・クアン・チエウ(Bui Quang Chieu)氏の娘だ。父親のチエウ氏はフランス留学の経験があり、農業関連の技術者だった。父親のチエウ氏は政治の分野でも活動し、立憲党の創立や報道の自由などに貢献したほか、多くの学生のフランス留学を支援した。
2018年9月3日付けのトイダイ(Thoi Dai=時代)紙の記事「最初のベトナム人女性医師は誰か?(Nu bac si nguoi Viet dau tien la ai?)」によると、アンリエット女史は有名な政治活動家の娘だったこと、またフランス国籍を有していたことから、お金も十分にあり、フランスとベトナムの先進的な教育を受けた。そして後にフランスへ留学し、ベトナムで最初の女性医師となったのだ。
幼い頃、アンリエット女史はサイゴン(現在のホーチミン市)にあるサンポール・ドゥ・シャルトル学校に通った。1915年に卒業し、コレージュ・デ・ジュンヌ・フィーユ学校(現在のホーチミン市3区グエンティミンカイ高校)へ進学した。