ホーチミン市の中心部には、築140年以上の給水塔が今も存在している。この建築物は、19世紀末にフランス人によって建設された最初の給水システムの一部で、都市形成の初期からサイゴンの人々に水を供給する上で重要な役割を果たしていた。
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多くの歴史的変遷を経て、給水塔は稼働を停止したが、昔の都市インフラの希少な痕跡として今も保存されている。
今日、この建築物は建築的価値を持つだけでなく、ホーチミン市の給水システムの基盤を築いた時代の記憶をとどめている。
初期の給水システム
ホーチミン市の水道事業を担うサイゴン水道総公社(サワコ=SAWACO)の情報によると、1862年にサイゴンで都市給水システムの最初の設計案がフランス人によって承認された。そして1880年までに、フランス人はサイゴンで最初の給配水システムを稼働させた。
現在のスアンホア街区(旧3区)のホーコンルア(Ho Con Rua=亀湖)の場所に建設された地下水汲み上げシステムは、当時の公共事業局長だった土木技師の名前にちなんで「テブネ」と名付けられ、1日に1000~1500m3の水を都市の住民に供給する能力があった。
その後の数年間、フランス政権はサイゴン・チョロン地区に水を供給するため、フランス語で「カプタージュ(Captage)」と呼ばれる一連の集水施設(浅井戸群)を建設した。
1884年には「ブランスベ」と「マクマオン」という2つの集水施設を追加で建設し、1896年にはズイタンポンプ場を建設した。さらに1898年には、チョロン地区に水を供給するため、チョロンとタンフンにも集水施設を建設した。




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