2004年、再び試練がリエンさんを襲った。今度は肩甲骨と肋骨が折れ、両膝も粉砕骨折した。リエンさんの伴侶である作家のカオ・ソンさんは、かつて心を痛めながらもこう例えたことがある。「妻のギターへの愛は、病をも超越する。詩人フン・クアンが詩を愛したように」。
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デンマークにいる娘は、母親が手術を受けられるようにと、お金をかき集めて4000USD(約64万円)を送ってきた。しかし、リエンさんは砕けた両足を見下ろし、それから部屋の隅に置かれたままのギターに目を向けると、きっぱりとこう言い放った。「私は手術なんてしません!」
「この足のままでも大丈夫。そのお金で音響機材を買って、自宅で『ハノイ・ハワイ・ナイト』という倶楽部を始めて、みんなが活動できる場にするわ。音楽がなければ、私はきっと生きていけないもの!」と、リエンさんはあっけらかんと言った。リエンさんにとって、音楽は自分自身の身体よりも尊いものなのだ。
消えゆく炎を再び灯す
最近では、音楽学校でハワイアンギターを見かけることはなくなった。若い世代で知っている人もめったにいない。こうした状況を憂いたリエンさんは、ギターを片手にハノイ市の音楽カフェや喫茶店を訪ね歩き、無料で演奏させてほしいと頼んで回っている。リエンさんは自身の活動を「消えゆく炎を再び灯すこと」と呼んでいる。
いつも慌ただしく過ごしている若者たちを見て、リエンさんはギターの音色を通じて、彼らの日常の歩みを少しでも緩めてあげたいと願っている。立ち止まって耳を傾けてくれる人が1人増えるたびに、リエンさんは嬉しくなる。
リエンさんは手間をかけて何十セットもの弦を探し求め、予備としてピックも何箱も買い集めている。「もし5年後に生産が中止されてしまったら、代わりがなくなってしまいますからね!」というのがその理由だ。
ハワイアンギターについて興味深げに尋ねる会社員や女子学生がいれば、リエンさんはすぐに自宅に招いて無償で教え、ギターを持っていない人には貸し出している。リエンさんは心の中で、このギターが音楽学校で再び教えられる日を待ち続けている。
孫やひ孫の世代、あるいは若者たちと交流するため、リエンさんは自力でパソコンのキーボードを打つ練習をし、フェイスブック(Facebook)アカウントを作成し、片言の英語も手探りで学んだ。
インターネット上のどこかでハワイアンギターが話題に上がっていれば、リエンさんは黙々とコメントを書き込み、移り変わる時代の中でもギターの音色を絶やさぬよう、辛抱強く守り続けている。
外の世界へ響くギターの音色
リエンさんはこれまで、自宅の静かな片隅でギターを弾くだけで満足したことはない。長年にわたり、リエンさんが自らタクシーを拾い、重たいギターを抱えてカフェ「モーフォー」へと通う姿は、近所の人々の間でおなじみの光景となっている。「モーフォー」は、医療ボランティア活動を行うボランティア医師協会の活動拠点だ。
「モーフォー」では、仕事に情熱を注ぐ医師や医療スタッフたちがチャリティー音楽会を主催するだけでなく、はるばる山間部まで足を運び、無料で診察や薬の配布を行ったり、貧しい子どもたちのための心臓手術を行ったりしている。こうした心優しい人々に囲まれるうち、いつの間にかリエンさんも協会の「家族」の一員になっていた。





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