ハノイ市ドンダー街区イエンラン通りにあるカフェ「モーフォー(Mo Pho)」のドアを開けると、店内は静まり返っている。人々の視線は、教師でありアーティストでもあるブイ・バック・リエンさん(女性・85歳)の、楽器のフレットの上を滑るしわの刻まれた両手に釘付けになっている。
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ステージの中央に立つリエンさんは、シミが浮かぶ両手を震わせながら、指ほどの大きさの金属片を握り、ハワイアンギターの弦の上を滑らせている。リエンさんが弾くハワイアンギターは、水平に寝かせて置いたギターの弦を金属製のバーで押さえ、スライド演奏する「スティール・ギター」だ。
ヘチマの花のような鮮やかな黄色のアオザイの裾の下で静かにリズムを刻む足首には、1.5kg近くある2つの重い鉛のおもりがしっかりと縛り付けられている。事情を知らない人は気にも留めないだろう。しかし、その背景を知る者は皆、胸の痛みを隠せない。かつて事故で砕けた両足でバランスを取って立ち、ギターの音色を響かせるため、リエンさんはこの鉛のおもりを身に着けなければならないのだ。
今日のように穏やかな佇まいでギターを奏で、優しい笑顔を見せるようになるまでの間に、リエンさんは何度か死の淵をさまよった。運命に降伏するしかないと思われた瞬間に、リエンさんをこの世に引き留めたのは、まさにそのギターの音色だった。
秘密の楽譜と、病床での決断
リエンさんは、女子学生だった半世紀以上前、ギターを習うために「マイ・ラン」という偽名を使っていた。当時はまだ「歌手や音楽家は身分が卑しい」という偏見が色濃く残る時代だった。音楽家のドアン・チュアン氏が奏でるハワイアンギターの音色にすっかり魅了されたリエンさんは、家族に隠れてわずかな小銭を切り詰め、こっそりと習いに行っていた。
リエンさんは、音符を逆向きに書き写した楽譜ノートを宝物のように大切にしている。ある時、師であるチュアン氏が「素晴らしい曲があるんだ。君だけにプレゼントするよ」と耳打ちしてくれたのだとリエンさんは語る。
それはボレロ(1975年以前に流行した歌曲)の曲「Thuo Tram Cai(『かんざしを挿していた頃』の意)」の、この世に1つしかない楽譜だった。親にばれるのを恐れ、なおかつ自分だけの宝物として残したかったため、当時のリエンさんは暗号のように音符を1つ1つ逆向きに書き写したのだった。
今では、そのノートとハワイアンギターは、リエンさんの青春時代を物語る証となっている。それは、華やかでありながらも、音楽の道を志す女性に対して厳しい偏見が満ちていた、かつてのハノイ市の姿そのものでもある。
1992年、交通事故に遭ったリエンさんは、脳損傷を負って植物状態となってしまった。家族は葬儀の準備すら進めていたという。生死の境をさまよう中、リエンさんの冷え切った手が宙をさまよい、偶然にもギターの弦に触れた。その金属の弦から伝わる冷たさがリエンさんの魂を目覚めさせ、リエンさんをこの世に引き戻したのだ。




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