生まれつき視覚障害を持つドー・グエン・アイン・トゥーさんは、ピアニストになるという夢を追って母親と共に故郷の南部メコンデルタ地方キエンザン省ラックザー市からホーチミン市に移り住んだ。18年間に渡る母親のサポートを経て、ホーチミン市音楽院で初めての全盲の学生となった。
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ホーチミン市7区ミーカイン地区にある古いアパートの4階の小さな部屋で、アイン・トゥーさんがピアノの鍵盤に手を滑らせると、民謡「美しい竹(Cay Truc Xinh)」が響き渡った。目が見えないアイン・トゥーさんは、普通のピアノ奏者のように楽譜を見ながら弾くことができないため、1つの鍵盤を弾いたらすぐに次の鍵盤に両手を移動させなければならない。この曲を演奏できるようになるまでに、数十ページにも及ぶ楽譜を覚える必要があった。
アイン・トゥーさんの母親、グエン・ティ・ホア・ホンさんはこう打ち明けた。「以前は、娘の人生がより色鮮やかになればと願い、ピアノの他にも水泳、絵画、将棋などたくさんの習い事をさせていました。娘が音楽院に入学し、合唱団で健常の楽器奏者と一緒に数百人の観客の前でピアノを演奏するようになる日が来るなんて想像もしていませんでした」。
18年前、アイン・トゥーさんは母親が妊娠28週目の時に早産で生まれた。保育器の中で1か月以上過ごし、退院して家に帰った後、母親のホンさんは赤ん坊の目が動かないことに気づき、不安に駆られた。検査の結果、医師から早産による網膜剥離が原因の先天的な全盲だろうと告げられた。その日から、ホンさんは家の中で目をつぶって移動し、全盲の人の感覚や生活の仕方を理解し、娘の人生をサポートするための準備を始めた。
両目は見えないが、アイン・トゥーさんの両耳の聴覚は優れていた。1歳の頃から様々な音や家族の声を判別することができ、家に客人が訪ねて来た時には声に耳を傾けて何人いるのか正確に当てることができた。
当時、ラックザー市にはまだ視覚障害児のための学校がなかった。3歳になったアイン・トゥーさんを受け入れてくれる幼稚園もなく、ホンさんは家で自ら教育を行うことにした。ホンさんは点字を真似して硬い板にビーズを貼り付け、文字や綴りを教えた。初めは粒の大きなビーズを使って大きい文字を作っていたが、娘の手先が器用になるにつれ、ビーズも文字も徐々に小さくしていった。
アイン・トゥーさんは小さな頃から歌と踊りが好きで、芸術の才能があると感じたホンさんは、オルガンの先生のもとへ通わせることにした。視覚障害者のための教則本がなかったため、ホンさんはビーズを使って点字形式の教則本を作成した。娘のレッスンは、ホンさんにとってのレッスンでもあった。