2人のマルティーヌ、アフリカに渡り王女となったベトナム人少女たちの運命

2019/09/15 05:06 JST配信

 1973年、ボカサ大統領は、後にボカサ治安部隊を率いる長となったフィデル・オブロウと小さなマルティーヌを、医師のジャン=ブルーノ・デヴェボードと大きなマルティーヌを結婚させた。

(C) VnExpress
(C) VnExpress

 1976年、ボカサ大統領は自分のことを皇帝と宣言し、2人のマルティーヌは自動的に王女となった。しかし、ここから2人のマルティーヌの人生は大きく変わっていくこととなる。

 ボカサ皇帝の独裁に周囲の人々は不満を募らせ、小さなマルティーヌの夫オブロウと補佐官らがボカサ皇帝の暗殺を企てるも失敗し処刑されたのだ。夫の死から数時間後、小さなマルティーヌは男の子を出産した。しかしボカサ皇帝は娘婿への仕打ちとして生まれたばかりの赤ちゃんと小さなマルティーヌをデヴェボード医師の病院へ送り込み、赤ちゃんに毒薬を注入させて死に追いやった。

 赤ちゃんの死後もボカサ皇帝は小さなマルティーヌを皇室の一員とみなし、1年後には小さなマルティーヌをベトナムへ一時帰国させることを発表した。ところが小さなマルティーヌは空港へ向かう途中で姿を消し、何者かによって暗殺されたとみられている。

 1979年にはクーデターによりボカサ政権が崩壊。ボカサ皇帝は大きなマルティーヌを始めとする子供たちとフランスに亡命した。その後帰国し隠居生活を送っていたが、1996年に死去した。

 大きなマルティーヌの長男であるジャン=バルテロミー・ボカサは現在もパリに住んでおり、2014年には家族に関するインタビューに答えている。それによると、大きなマルティーヌはフランスでベトナム料理店を2店舗と、母方の祖母と宝石店や日用品店を経営しているという。

前へ   1   2   3   次へ
[VnExpress 09:53 22/8/2019, T]
※VIETJOは上記の各ソースを参考に記事を編集・制作しています。
© Viet-jo.com 2002-2025 All Rights Reserved 免責事項

この記事の関連ニュース

 ベトナム戦争下の東南部地方ドンナイ省で交際し、その後生き別れとなっていた元米軍兵の米国人男性とベ...
 残留日本兵のベトナム人妻で、2017年2月にベトナムを初訪問した天皇、皇后両陛下と面会した
 オーストラリア在住のシャンタル・デエクさん(女性)は今から40年前、米軍の「オペレーション・ベビー...
 米国人男性ラリー・ベッターさん(71歳)はベトナム戦争に衛生兵として従軍した。その時目にしたベトナム...

新着ニュース一覧

 商工省と複数の省・市における太陽光発電事業を巡る違反事件で、ハノイ市人民裁判所は、ホアン・クオッ...
 国家主席府は4月29日、受刑者8055人と刑執行猶予中の1人の計8056人に対する国家主席の特赦の決定を発表...
慣れない海外生活、急病や事故
何かあってからでは遅い!
今すぐ保険加入【保険比較サイト】
 第15期(2021年~2026年任期)国会第9回会議が5月5日に開幕した。  今国会では、国家構造に関する201...
(※本記事はVIETJOベトナムニュースのオリジナル記事です。) ロンドン:歌謡曲でムードたっぷり、街角...
 ホーチミン市文化スポーツ局は、4月30日の南部解放記念日にサイゴン川沿いエリアで実施を計画していた...
 南部解放・南北統一50周年(1975年4月30日~2025年4月30日)事業の一環で行われた軍事パレードを見物する...
 衣料の製造・販売を行う韓国のレシピグループ(Recipe Group)はこのほど、同社が展開するファッションブ...
 ルオン・クオン国家主席は4月28日、北中部地方ハティン省でラオスのトーンルン・シースリット国家主席 ...
 インボイスに関する政令第123号/2020/ND-CPの一部を改正・補足する政令第70号/2025/ND-CP(6月1日施行)...
 カナダの金融・保険サービス比較会社 「ハローセーフ(HelloSafe)」はこのほど、世界各国における株式市...
 ハノイ市人民評議会は4月29日、バイオテクノロジー分野に特化した「ハノイバイオハイテクパーク」の建...
 日本の経済産業省とベトナム商工省は4月28日、エネルギートランジションに係る二国間協力プロジェクト...
 東南部地方ビンズオン省のビンズオン新都市ワールドトレードセンター(WTC EXPO)で5月7日(水)から9日(金...
 イタリアのサンペレグリノ(Sanpellegrino)とアクアパンナ(Acqua Panna)が冠スポンサーを務める「アジア...
トップページに戻る