170年前に初めて米国へ渡ったベトナム人、チャン・チョン・キエム

2020/11/08 05:15 JST配信

 キエムとメンバーたちは、当時流行していた「おおスザンナ(Oh! Susanna)」を歌いながら進み、ネブラスカの河川を越え、ロッキー山脈を越え、ララミー、ソルトレイクシティに至った。しかし、それは危険な道のりで、彼らはしばしば飢餓の脅威やインディアンの攻撃に直面した。マラリアと毒蛇も、集団の半数以上の命を奪った。

(C) thanhnien
(C) thanhnien

 資金として少しの金(ゴールド)を蓄え、キエムはサンフランシスコに戻った。19世紀半ばのサンフランシスコは、埃っぽく強盗ばかりの街だった。

 機知に富み、アグレッシブでさらに多くの外国語ができることを売りとして、キエムはすぐにアルタ・カリフォルニア(Alta California)やモーニング・ポスト(Morning Post)などの新聞社のフリーランス記者としての仕事を得ることができた。そしてその後、デイリー・イブニング(Daily Evening)の編集者となった。

 キエムは、人種差別の被害者となった金鉱で働く黄色人種の人々に深い同情を示した。デイリー・イブニング紙に掲載されたキエムの記事の多くは、現在もカリフォルニア大学の図書館に保管されている。

 特に、1853年11月8日号には、キエムとジョン・サッター(ゴールドラッシュとの関係や、『サッター砦』で知られる)の対談記事がある。キエムはサンフランシスコに到着したとき、ジョン・サッターに大いに助けられた経緯もあった。ジョン・サッターは歴史の流れの中でサンフランシスコを追われ、精神病を患い、埠頭をさまよって物乞い生活を送り、友人たちからも見捨てられていた。

 キエムはジョン・サッターと再会したとき、200USDを渡すとともに、サンフランシスコの土地を開拓したジョン・サッターに対するサンフランシスコの人々、そして米国の人々の態度を批判した。

 翌1854年、米国での混沌とした生活にうんざりし、さらに故郷への懐かしさに駆られたキエムは、ベトナムへ帰る手段を見つけた。キエムはカウボーイのように馬に乗って銃を撃った最初のベトナム人、そして米国の新聞社の記者を務めた最初のベトナム人となり、米国に自分の足跡を確かに残した。

前へ   1   2   3   次へ
[Thanh Nien 06:40 06/11/2020, A]
※VIETJOは上記の各ソースを参考に記事を編集・制作しています。
© Viet-jo.com 2002-2025 All Rights Reserved 免責事項

新着ニュース一覧

 英語熟練度を測る検定試験「アイエルツ(IELTS)」の運営団体が発表した統計によると、2024~2025年度の...
 ハノイ市人民委員会は6日、環状4号線プロジェクトの一環として、高速道路を建設する第3サブプロジェク...
慣れない海外生活、急病や事故
何かあってからでは遅い!
今すぐ保険加入【保険比較サイト】
 財政省傘下統計局(NSO)が発表したデータによると、2025年1~8月期に全国で新規設立された企業は前年同...
 南部メコンデルタ地方カントー市ニンキエウ街区在住のチュオン・クアン・タイさん(男性・43歳)とホー・...
 三菱重工業株式会社(東京都千代田区)は、南部メコンデルタ地方カントー市で建設中の第4オモン火力発電...
 財政省傘下統計局(NSO)の発表によると、2025年8月の外国人訪問者数(推定値)は168万4972人で、前月比+7....
 財政省は、個人所得税法の改正案を公表し、最高税率35%を維持する一方で、税率区分を「5%刻みの7段階...
 8月22日に公開されたベトナム映画「Mua Do(英題:Red Rain)」が、7日夜までに興行収入5558億VND(約31億...
 ベトナム共産党政治局の決定により、南中部地方ダナン市共産党委員会副書記 兼 同市人民委員会主席のル...
 ホーチミン市の戦争証跡博物館は4日、開館50周年(1975年9月4日~2025年9月4日)を迎えた。ラム・ゴ・ホ...
 株式会社TBSホールディングス(東京都港区)は7日、ハノイ市で行われたベトナム国営テレビ局(VTV)のテレ...
 株式会社三菱総合研究所(東京都千代田区)と株式会社AGRI SMILE(東京都新宿区)は、地場食料・アグリビジ...
 飲食店向け活魚・鮮魚・冷凍加工品の営業販売・個別配送などを手掛ける株式会社ふぃっしゅいんてりあ(...
 廃棄物処理や浄化槽工事などを手掛ける栗東総合産業株式会社(滋賀県栗東市)と、科学技術分野の教育・人...
トップページに戻る