決して恵まれた環境とはいえない山岳少数民族の村の暮らし中でも、向上心を忘れることなく努力を続け、優秀なITエンジニアに成長した青年がいる。日本企業でエンジニアとして活躍するディン・バン・ナムさん(男性・28歳)だ。
(C) VNExpress, Dinh Van Nam |
ナムさんは山岳地方の少数民族フレ族の村に生まれ、幼い頃はその日の食事にもままらなず、主食は芋だった。小学校に上がる年になっても学校へ通う子どもは極めて少ない。村では、子どもが学校へ通いたくても親が家畜の世話を言いつけ、学校へ通う子どもは働こうとしない怠け者だとさえ言われていた。
ナムさんの家族も例外ではなかった。姉たちの中には5年生で退学し結婚した人もいれば、非識字者もいて、学業について考える人は誰1人いなかった。しかしナムさんは違った。小さいときから勉強が大好きで、登校初日のことを今でも鮮明に覚えているという。普段少数民族の言語を話すナムさんは当時先生が話すベトナム語があまり良く理解できないことも多々あったが、アルファベットの練習がとても楽しく、帰宅しても翌日の学校が待ち遠しかった。
村には中学校がなかったため、小学校を卒業後、ナムさんはベトナム国民の大多数を占めるキン族の生徒が主に通う中学校へ通うことになった。キン族の生徒の新しい制服や学生鞄が羨ましかった。通学当時は少数民族であることを冷やかされ、親しい友達はいなかった。しかし、これが頑張るための原動力となり、ナムさんは中学時代には優秀生徒として何度も表彰された。かつてナムさんをからかっていたクラスメイトさえも、ナムさんに数学を教えるよう頼むようになったことから親しくなり、ナムさんにも自信がついた。
ナムさんの当時の夢は、中学を卒業し郵便専門学校に進学することだった。しかし、テレビのクイズ番組に大学生が出ているのを見て、いつしか大学進学を夢見るようになり猛勉強し、高得点で大学に合格した。その時には、村中の人がナムさんを祝福したという。
大学の入学手続きを済ませたその足で、ナムさんはアルバイト先を探した。少数民族優遇政策で学費は免除されたが、ナムさんはカフェの店員や家庭教師をして自分の生活費や田舎の家族への仕送りの資金を稼いだ。大学3年からはインターネットカフェのシステムアドミニストレータを始めたが、アルバイトに夢中になりすぎて8科目中7科目で追試を受ける羽目になってしまった。
これではいけないと一念発起し勉強に打ち込むうちに、ナムさんは海外で働くことを目指すようになった。大学卒業の年、ナムさんは日本のIT企業が自社の人材育成の一環として、ベトナム人奨学生を募集していることを知り応募した。ナムさんは応募した学生400人中の20人に残り、最終選考で日本に派遣される5人の1人に選ばれた。
ナムさんがソフトウェアエンジニアとして日本で働くようになり3年が経った。ナムさんは、少数民族でも夢を信じて努力すれば海外で認められ仕事ができることを証明できたと自負している。そして、学生時代の夢を実現させたナムさんは今新しい夢に向かって進んでいる。