ハノイで3世代続く国旗の縫製職人、祖国の象徴と伝統を守って

2021/09/12 10:17 JST配信

 村落の多くの子供たちがズエンさんの家に寄り、本を買うお金を稼ぐために仕事を手伝った。そして、刺繍村として知られていたトゥーバン村落が、有名な国旗縫製村になった起源について語る老人の話を聞いた。

(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress

 フックさんの母親であるダン・ティ・ダムさん(62歳)によると、トゥーバン村落では16世紀から民芸品の刺繍をしていたが、国旗の刺繍・縫製を行うようになったのは1945年以降のことだという。

 1945年といえば八月革命によってベトナムが独立し、ベトナム民主共和国が成立した年だ。その年、総蜂起の日に備えて革命委員会がトゥーバン村落に立ち寄り、金星紅旗を注文した。「父の話では、最も大きく、最も美しく、最も鮮明な金星紅旗は、トゥーバン村落の人が作ったものだったそうです」とダムさんは語る。

 北部に平和が戻ると、トゥーバン村落の縫製職人たちはハノイ市のハンボン(Hang Bong)通りの合作社に雇われ、国旗の生産に従事した。「当時、布はハドン区のラーケー村落(lang La Khe)で、糸はタインチー郡のチエウクック村落(lang Trieu Khuc)で購入していました」とダムさん。

 ベトナム戦争が終結した1975年以降、特に経済が開放されてから、トゥーバン村落の多くの人々は国旗の刺繍・縫製をやめ、商売に転向した。

 「今から30年余り前、息子がまだ小さかったころ、息子に代々の伝統技術を学ぶように言いました。フックは覚えが早くて、私も夫も伝統を残すため、息子が規模を拡大して国旗の生産を続けてくれるようにサポートしました」とダムさん。「フック(漢字で「復」)」という名前も、村落の伝統技術の復活を願ってつけたものだった。

 トゥーバン村落の長であるグエン・バン・ニャムさんによると、現在、村落に残っている国旗の刺繍職人は約20人しかいないという。刺繍は注文を受けてから完成までに時間がかかり、注文自体が少なくなっているためだ。

前へ   1   2   3   次へ
[VnExpress 05:05 02/09/2021, A]
※VIETJOは上記の各ソースを参考に記事を編集・制作しています。
© Viet-jo.com 2002-2025 All Rights Reserved 免責事項

この記事の関連ニュース

 ベトナム版ギネスブックのベトナム・ブック・オブ・レコーズセンターは6日、陶芸村バッチャンで作られ...

新着ニュース一覧

 インターネット接続の性能を評価するウェブサイト「スピードテスト(Speedtest)」を運営する米国のオー...
 格安航空会社(LCC)最大手ベトジェットエア[VJC](Vietjet Air)は、米ボー
慣れない海外生活、急病や事故
何かあってからでは遅い!
今すぐ保険加入【保険比較サイト】
 ベトナムの決済アプリ大手「モモ(MoMo)」は、世界的保険グループであるチャブグループ(Chubb Group)傘...
 南部メコンデルタ地方ドンタップ省に住むファン・ゴ・ジエム・フオンさん(女性・18歳)には「我が家」が...
 ホーチミン市当局は10月、ビンチュン街区(旧トゥードゥック市)のマイチート(Mai Chi Tho)通りに全長約5...
 KDDI株式会社(東京都港区)は11日、ベトナム郵便通信グループ(Vietnam Posts and Telecommunications Gr...
 株式会社多摩川ホールディングス(東京都港区)の孫会社である多摩川電子ベトナム(TAMAGAWA ELECTRONICS ...
 家具・建築用金物製造販売を手掛ける株式会社中尾製作所(三重県津市)は4日、東南アジア地域における販...
 ホーチミン市タンミー街区(旧7区)のサイゴンエキシビション&コンベンションセンター(SECC:799 Nguyen...
 ベトナム共産党政治局は、政治システムにおける職位・職務区分を改定する決定第368号-QD/TWを公布した...
 地場系コングロマリット(複合企業)ビングループ[VIC](Vingroup)傘下の電
 マレーシアを公式訪問したチャン・タイン・マン国会議長は同国の首都クアラルンプールで19日にジョハリ...
 電動バイクの生産・販売を手掛ける地場スタートアップのダットバイク(Dat Bike)は18日、シリーズBラウ...
 消防関連設備を製造する韓国系のSテックビナ(S-TEC VINA)が、成長を遂げている。同社によると、ベトナ...
トップページに戻る