このほど第3国家保管センターが開いた歴史セミナーで、ベトナム国歌「進軍歌(Tien Quan Ca)」の作者である音楽家の故バン・カオ(Van Cao)の息子で、画家・詩人のバン・タオ(Van Thao)氏が、国歌にまつわるエピソードを話した。
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バン・タオ氏によると、「進軍歌」はバン・カオによって1944年に作られたもので、それは、夜には冷え込むようになる季節である10月、日本軍とフランス軍によって引き起こされた1945年ベトナム飢饉による餓死者をハノイ市から運び出す牛車の音が鳴り響く夜のことだったという。
この「進軍歌」は、ベトミン(ベトナム独立同盟会)が発行した新聞「独立(Doc Lap)」の創刊号に印刷され、バン・カオ自身が印刷所に行って、歌詞を手書きした。
1945年8月17日、ハノイ市の市民劇場(オペラハウス)で開かれたチャン・チョン・キム(Tran Trong Kim)政権を支持する集会で、ベトミンはバン・カオが所属する部隊にこの集会を破壊する任務を与えていた。
バン・カオは、オペラハウスのバルコニーに翻る日本の旗を引きずり降ろし、演説中のチャン・チョン・キム政権の人間が持つマイクを奪うよう指示した。そして、ハノイ市に進軍歌が鳴り響いたのだった。
ベトナムの国歌「進軍歌」については、ベトジョーライフ(VIETJO LIFE)の「ベトナム国歌はどういう曲?~Tiến Quân Ca(進軍歌)~」を参照。