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ある日の午後、60代と思われる男性が、壊れたデュポン(Dupont)製のライターを手に、ホーチミン市チョロン街区グエンチーフオン通りを訪れた。男性は、ファム・バン・コーさん(男性・72歳)の店である、古びて傾いた木製の台の前で足を止めた。
コーさんは、ホーチミン市で今もなおライターの修理とガスの補充という仕事を続けている、数少ない職人だ。この仕事に就く前、コーさんはさまざまな職を経験した後、1976年に軍に入隊した。
翌年、部隊とともにカンボジアの戦場に赴いた。1979年には北部に移動し、旧ナムディン省沿岸の防衛に当たった。
1980年に除隊し、ホーチミン市に戻ったコーさんは仕事がなかったが、戦友に誘われてライターのガスを補充する仕事を始めた。
1980年代には、米国のジッポー(Zippo)やフランスのデュポン、英国のダンヒル(Dunhill)といったブランドの高級ライターはすでに存在していたが、多くの人にとってはまだ高嶺の花だった。大半の市民が使っていたのは、何度もガスを補充できる庶民的なライターだった。
そのため、ライターのガスを補充する仕事が盛んになり、安定した収入をもたらした。仕事を続ける中で、コーさんは故障した高級ライターに触れる機会が多くなり、客から修理を依頼されるようになった。
客の要望に応じて独学で研究し、修理方法を学ぶうちに、この仕事にのめり込んでいった。やがて客は、ガスの補充だけでなく、捨てるしかないと思われていたライターを「救う」ために、コーさんのもとを訪ねるようになった。

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