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北部紅河デルタ地方フンイエン省在住のダン・ティ・ソーさん(女性・75歳)は、夫が戦死する前に書いた手紙が、半世紀以上の時を経て映画のインスピレーションの源となり、かつての自分の悲しみが誇りへと変わるとは思いもよらなかった。
ある日の午後、フンイエン省レロイ村バンハイン村落の奥深くにひっそりとたたずむソーさんの家には、線香の煙が漂っている。ソーさんは、戦死した夫のレ・バン・フインさんの祭壇をせっせと掃除している。祭壇に飾られたガラスの額縁には、フインさんが書いた10枚にわたる手紙が収められている。
ソーさんは、手で1行ずつ文字をなぞる。読まなくとも、彼女はどこで文が区切られているかを暗記しており、夫がどの段落で何を言い残し、どの言葉を彼女だけに宛てて書いたのかを知っている。「彼が書いたこの言葉が、私の人生をずっと慰めてくれました」と、ソーさんは永遠の24歳の若き兵士の遺影にそっと触れながら語る。
ソーさんとフインさんはもともと同じ村の出身だった。結婚式は、フインさんが入隊命令を受けた1972年の新暦正月に慌ただしく行われた。3度会って結婚し、新婚の2人が一緒に過ごせたのはわずか7日間だった。その後、ハノイ建設大学の3年生だったフインさんは北中部地方クアンチ省の戦場へと旅立った。2人の間にはまだ子供はいなかった。
1972年9月11日、タックハン川のほとりに座り、フインさんは自身の死を予感して次のような言葉を書き残した。「私がもし『地中の奥深くでの秘密の調査に行く(死ぬ)』ようなことがあっても、家族がそれを急なことだと驚かないように、ここに座って最後の言葉をいくつか書いておきます」。
結婚式からちょうど1年後、フインさんは交通壕に降り注いだ爆弾により犠牲となった。彼の軍服はその年の旧暦大晦日の午後に戦友たちによって持ち帰られたが、手紙はリュックサックの底で静かに眠ったままだった。
家族が遺品を火葬しようとした1975年7月の満月の夜になってようやく、手紙が発見された。それは単なる別れの言葉ではなく、妻が夫の遺骨を探すための緻密な説明書でもあった。「列車でクアンチ町へ行き、タックハン川を渡り...ニャンビエウ1村落を訪ねて...僕の墓はそこにあります」。
夫の指示を頼りに、30年近くもの間、ソーさんは親戚に頼んで戦地となったクアンチ古城のあちこちを探してもらったが、夫の遺骨を見つけることはできなかった。2002年になってようやく、同級生でありフインさんを直接埋葬したグエン・バン・クオンさん(男性・76歳)の話から真実が明らかになった。
当時の戦場では、犠牲になった兵士は皆ニャンビエウ村落の端に運ばれて埋葬されていたため、フインさんは自分が死んだ時も同じ運命をたどるだろうと思っていた。しかし、現実はあまりにも過酷で、クオンさんは友人を村落の端にある墓地まで運ぶことができず、予定していた場所から約5km離れた場所に埋葬せざるを得なかったのだ。

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