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南中部地方ダナン市ディエンバンドン街区(旧クアンナム省ディエンバン町ディエンナムバック街区)カムサー村の人々は、白い砂丘が広がる田舎の風景と、かつての爆撃の焦げた匂いを今も覚えている。戦争を経験した人であっても、平和が奇跡的な癒しをもたらし、故郷を変えたことに信じがたい思いを抱くという。
「それは、旧暦の1968年12月8日の夜のことです。コンケー(現在のディエンゴック交差点)から村に大砲が降り注ぎ、子供の泣き声が聞こえました…」と、カムサーの戦争体験者であるグエン・バン・フオックさん(男性・67歳)は、当時の惨状を涙ながらに語る。
フオックさんは続ける。「翌朝、村じゅうに『猛虎』や『青龍』と呼ばれた韓国軍の兵士が武器を構えて押し寄せてきました。子供たちは母親にしがみつき、老人たちは天秤棒と籠を担いで川を渡り、故郷を離れて避難しました。あのとき、我々の故郷はもう滅びたと思っていました。まさか、今日のような姿に戻ることができるなんて想像もしませんでした」。
カムサーの地名は今もなお、旧クアンナム省の中で悲劇的で、なおかつその悲劇を乗り越えた村として記憶されている。カムサーは小さな村だが、503人の戦争烈士(戦死した軍人・従軍者)と100人を超える「ベトナム英雄の母」がおり、ほとんどの家庭が革命功労者を祀っている。
フオックさんの親戚には、母親のホー・ティ・ブットさん、父方の祖母のファム・ティ・チュックさん、叔母のレ・ティ・ホックさん、義叔母のレ・ティ・ヌーさんの4人のベトナム英雄の母がいる。また、実の兄3人のうち、1人は中将で、2人は戦死した。