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ホーチミン市のめまぐるしく変わりゆく街並みの中で、バンコー市場(cho Ban Co)は、記憶の断片のようにひっそりと存在している。商人たちは日々、市場で商売を続けている。まるで、1束の野菜が、1kgの玉ネギが、時の流れと街の魂を引き留めているかのように見える。
ホーチミン市旧3区(現在のバンコー街区)にあるバンコー市場は、古い路地に入り込み、青々とした野菜の屋台、湯気が上がるブン(米粉麺)の丼、そして聞き慣れた呼び声が混じり合っている。
30年以上もここにいる「お母さん」たちは、その働き者の両手で、野菜や玉ネギ、パクチーの山に心を込め、この市場の暮らしの息づかいを守ってきた。
まだ夜が明けきらないうちから、グエンティエントゥアット(Nguyen Thien Thuat)通り174番地の路地は、三輪バイクの音、天秤棒がぶつかり合う音、そして新鮮な野菜の匂いでにぎやかになる。
この空間の中で、ダン・ティ・マイ・アインさん(女性・51歳)はすでに、5m2にも満たない自分の野菜の屋台に立っている。アインさんは、タコだらけの手で、空芯菜、ネギ、小松菜を1束ずつ丁寧に並べていく。何十年も続く、彼女の日課だ。
「10歳のころから、母について市場に来ていたんです。幼いながらも、野菜を選別したり、量ったり、屋台を片づけたりと、母の手伝いをしていました。大人になって、気がついたらこの屋台が自分の店になっていたんです」と、アインさんはどこか寂しさを含んだ、親しみのある笑顔で話す。
「毎朝毎朝、1時や2時に起きて仕入れに行きます。外はまだ真っ暗なのに、古いバイクにまたがって野菜を取りに行き、開店に間に合うように帰ってきます」とアインさん。
アインさんによると、以前のバンコー市場は、売り手と買い手であふれ、人が押し合いへし合いながら商品を選び、台車がずらりと並んでいたという。アインさんは、「以前は山積みの野菜が1日で売り切れる日もあり、子どもたちの学費も十分に支払えて、少しは蓄えもできたんですよ」と、強い南部訛りで語る。
「今はお客さんがぐっと減って、まったく売れない日もあります。屋台の場所代を払うだけで精一杯で、残りのお金は天候が悪くなって野菜が不作になったときに供えて少しずつ貯めておかないといけません。年老いた母も小さな孫もいるし、夫はもう働けない年ですから」とアインさん。

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