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旧ディエンナムバック街区では長年にわたり、7月27日を戦争烈士の「合同慰霊の日」としてきた。この日は村のあちこちで太鼓が鳴り響き、子孫たちが集まって先祖に線香を手向け、供養する合同の儀式を行う。
爆撃によって一族全員が失われ、後継者がいない家庭は、近隣住民が線香を手向け、一緒に供養する。「我々の家族には14人の戦争烈士がいます。もし、それぞれの命日に供養をしたら、とてもやりきれません。だからきょうだいたちと話し合い、全員の供養を7月27日にまとめて行うことにしたんです」とフオックさんは語る。
旧クアンナム省には、戦争烈士が6万5000人以上、傷病兵が約3万1000人、化学兵器の被害者が6000人以上、そして革命・抗戦活動に参加して投獄された人が1万2000人近くいるという。さらに、省全体で1万5360人がベトナム英雄の母に認定され、このうち294人が存命している。特に旧ディエンバン町は、戦争烈士とベトナム英雄の母がベトナム国内で最も多い地域だ。
旧ディエンナムバック街区は、かつて村人たちが戦争を避けて村を離れたため、無人の地となっていた。中でもカムサーは「白い村」と呼ばれるほど、爆撃によって壊滅的な被害を受けた。
ベトナム戦争の終結後、人々は続々と村に戻り、故郷を再建した。そして、旧ディエンナムバック街区には、ディエンナム・ディエンゴック工業団地が建設され、風景は一変した。無人だったこの地は、旧クアンナム省北部の産業の中心地に発展した。
戦争は遠い過去になったが、カムサーの人々の心からその記憶が消えることはない。かつて粗末な藁葺きだった家々は今や頑丈な建物に建て替えられ、子供たちは笑顔で学校に通い、道は広くてきれいだ。
平和の時代を迎えても、残された人々には今も英雄の血が流れ続けている。戦争烈士や傷病兵の子孫たちも成長し、軍や公安の士官として伝統を受け継ぎ、祖国の建設と防衛に貢献している。