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時間が最後の証言者たちを奪い去っていく
毎年乾季になると、クアンチ省の第589部隊の幹部や兵士ら30人がリュックを背負ってラオスへと旅立つ。1989年10月に部隊が創設されて以来、かつて戦闘や駐留、あるいは輸送路の開拓に従事して犠牲となり、いまだ見つかっていないベトナムの義勇軍や専門家の遺骨を捜索・収集するという任務のもと、37年間にわたりこの活動が続けられてきた。
今回の目的地は、チュオンソン山脈の向こう側、クアンチ省(旧クアンビン省)のチャーロー国境検問所から約100km離れたラオスのカムムアン県だ。旅程は10月から翌年の5月まで8か月近くに及び、数百kmの林道を進み、川や小川を渡り、山の中腹にある岩穴へ向かう。
携帯電話の電波も届かず、週末や休日もない。彼らの生活には、山林と戦争の遺物である地雷、そして長く続く捜索だけがある。
ラオスで2回の乾季を経験した第589部隊隊長のグエン・タイン・ビン大佐は、最も困難なことは自然の過酷さだと語る。捜索場所は主に原生林と山岳地帯で、現場に到着するまでに、わずか数kmの距離でも車で何時間もかかり、ボートで川を渡り、さらに森の中を何kmも歩かなければならない場所もある。
乾季の最中、カムムアンは気温40度に達する焼けつくような暑さとなる。風もなく、掘削作業を数分行っただけで服は汗でびっしょりになる。それに加え、兵士たちは地雷という土の下に潜む危険にも直面する。
カンボジアでも、ラオスと同様に烈士の遺骨の捜索・収集作業が行われている。南部地方タイニン省軍事司令部所属のK73部隊の兵士たちがカンボジアの森を歩いていた時、チャン・チー・コン大佐が「全員、動かないで」と大声で叫んだ。
兵士たちのすぐ近くの草むらに、錆びた地雷が紛れていた。工兵が処理を終えて初めて、一行は安堵のため息をつき、危険を避けるために野生動物が残した獣道に沿って移動を続けた。
ベトナム国境から650km以上離れたカンボジアのパイリンでは、K73部隊の兵士たちにとって、それは日常の一場面だ。ラオスで活動する第589部隊と同様に、K73部隊も乾季に入るたびにカンボジアへと出発し、烈士の遺骨を捜す任務を遂行する。
スヴァイリエン、プノンペン、バタンバンなど、カンボジアの半分に相当する11州を担当するチームを10年近く率いてきたコン大佐は、パイリンこそが最も困難な場所だと語る。
タイと国境を接するカンボジア西部のパイリンは、かつてクメール・ルージュの兵站の中心地かつ基地であり、戦後ほとんど撤去されていない地雷原が残っているため、常に兵士たちの脅威となっている。しかも、ここは山岳地帯で、早朝には霧が立ち込め、一歩足を踏み外せば深い谷底に落ちてしまいかねない。

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