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「革命政府(1945年の8月革命で成立したベトナム民主共和国=北ベトナム)の1周年にあたり、中央南部事務所とザーディンは、南部のベトナム人と友好的な会合を開いた。会合でギエップ医師は、1年間の南部の状況を振り返り、戦死した兵士や今も戦っている兵士らの輝かしい功績はもちろんだが、何よりもベトナム国民の偉大な英雄であり、民族解放運動の先駆者でもあるホー主席(故ホー・チ・ミン主席)の功績について言及した。結論として、大国では大都市に英雄にちなんだ名称を付けることが多いという例をいくつか挙げた上で、ギエップ医師は、ホー主席の功績を記すためにサイゴンの名称をホーチミン市に改めることを提案した。全員がギエップ医師の提案に賛成し、政府に送付するサイゴン改称の決議に共同署名した――」。
この決議には以下のように記されている。「国会と中央政府に対し、南部の人々の戦い、犠牲、祖国への帰還の固い決意の象徴として、サイゴンの名称をホーチミン市に直ちに改めるよう要望する」。決議にはチャン・フウ・ギエップを筆頭に、57人が署名した。
その後、サイゴンが政治的・社会的な激動を伴う戦火に包まれる時期が続いたものの、「ホーチミン市への改称」という提案が色褪せたり、忘れられたりすることはなかった。
およそ30年後、国が平和を取り戻した1976年7月2日、第6期(1976~1981年任期)国会で正式にサイゴンをホーチミン市に改称することが決定した。
1976年7月2日付けのトゥオイチェー紙の一面には、大きな見出しで「祖国の新しい日よこんにちは、幸福よ、未来よこんにちは、若者は翼を広げて高く飛ぶ(Chao ngay moi cua to quoc, chao hanh phuc, tuong lai, tuoi tre vuon canh bay cao)」と記されている。
それから45年が経ち、ホーチミン市ではさらに2世代の若者たちが生まれ、育った。現在のホーチミン市の人々も、16世紀末にサイゴンを築いた人々と変わらず、「平安(binh an)」「繁栄(thinh vuong)」「強さ(hung cuong)」を願い続けている。