15~18世紀:4枚の布を垂らしたアオザイ
黎(レ)朝(1428~1527年、1532~1789年)時代には服装が大きく変化し、それまでのスタイルとは全く異なるものとなった。
この時代のアオザイは4枚の布を垂らした「4つ身」のようなデザインだったが、前側の2枚の布を結んで着用することはなかった。このスタイルのアオザイは、女性にとって農作業や日常の活動にも適しており、特に1年中働く田舎の女性が好んで着用した。
18世紀~20世紀前半:現代につながる新たなアオザイ
広南国(こうなんこく)(1558~1777年)の第8代君主グエン・フック・コアット(Nguyen Phuc Khoat=阮福濶、在位1738~1765年)は、今日のアオザイの原型を整えた人物とされている。
数万人にも及ぶ中国系民族の移入に直面した彼は、ベトナムの文化的アイデンティティを保持するため、全ての人々に対して服装に関する勅令を発布した。この勅令によって初めて男性と女性の両方のアオザイの基本的な形が決まり、今日のアオザイと似た形となった。そして、阮福濶の統治時代にアオザイが民族衣装として正式に認められることとなった。
現代的なアオザイの形は、1939年に画家のカット・トゥオン(Cat Tuong)がデザインしたアオザイ「ル・ミュール(Le Mur)」に始まる。「ル・ミュール」は伝統的なアオザイとは異なり、体のラインに沿ってくびれを作り、袖や襟にはヨーロッパ風のディテールを取り入れた。
しかし、この「ハイブリッド」なアオザイは、下品だとして当時の世論で強く非難され、モダンなスタイルを好むアーティストが着用するだけだった。そして、1943年までにこのスタイルは徐々に忘れ去られていった。
次ページ → 20世紀後半~現在:ファッションとしてのアオザイ
・ 「アオザイウィーク2024」、3月1日~8日に全国で開催 (2024/03/01)
・ ホーチミン市アオザイ協会を設立、同市文化スポーツ局が管轄 (2023/12/25)
・ ホーチミン:「アオザイフェスティバル」閉幕、10万人が参加 (2019/03/19)
・ 「アオザイフェスティバル2019」、ホーチミンで開幕―3月17日まで (2019/03/04)
・ 男性職人がアオザイを仕立てる村、父から息子へ技術受け継ぎ (2018/04/15)
・ ホーチミン:「アオザイフェスティバル」閉幕、10万人が参加 (2018/03/28)
・ ダムセン公園、アオザイ着用で入場無料に―3月8日から11日まで (2018/03/07)
・ ホーチミン: 3月は「アオザイ月間」、着用を奨励―アオザイフェスも開催 (2018/03/02)