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1954年、フンさんの父親はホーチミン市のチャンクオックトアン通り(現在のバータンハイ(3 Thang 2)通り)のティエック市場の近くに時計修理店を開いた。器用で勉強熱心だったため、店は多くの客で賑わった。
「父から技術を受け継ぎ、1975年ごろから私が父に代わって店に立つようになりました。当時はまだ人々の生活も厳しく、時計は珍しいものだったので、皆とても大切にしていたんです。オイル差し、時刻合わせ、ベルト交換だけでも仕事が絶えませんでした。手巻き式や自動巻き式の時計は、当時の人々にとっては貴重な財産だったので、修理するなら、高い技術を持った信頼できる店に持ち込むんです。長年にわたりうちの店が選ばれてきたのは、仕事に対する真心があったからですね」とフンさんは語る。
時代の流れとともに人々の生活も変わり、安価な時計もたくさん出回るようになり、客が減って、フンさんの同業者の多くは廃業した。しかし、フンさんは店を守り続けた。
「父から受け継いだのは、時計を修理する技術だけでなく、お客さんや、家族を養っているこの仕事への敬意です。父が築いたお客さんとの信頼を受け継いだ私には、それを守っていく責任があります」とフンさんは語る。