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子供たちはお粥と野菜を食べて育った。世の中には、両親が自分で育てられず、他人に預けられる子供や、送り迎えをしてくれる人がおらず、学校に通えない子供もいる。そんな中でも、フオンさんと他の子供たちはどんなに貧しくても学校に通い、勉学に励んだ。
7年前には、フオンさんの姉であるゴ・トゥエット・ズンさんが、大学の観光学専攻に合格した。ズンさんは、学費を稼ぐためにアルバイトにも勤しんでいたが、フオンさんと、年老いて病気を抱えながらも家政婦として働きに出ている母親を思い、大学2年生のときに休学し、海外派遣労働者として日本で働く道を選んだ。ズンさんが母国に送金するわずかな金額が、フオンさんと母親の生活費や医療費に充てられている。
中学生時代、フオンさんは授業のかたわら母親の露天商の仕事も手伝い、洗い物や配膳をこなしていた。両親に見守られながら楽しそうに過ごしている友人の姿を見ると、フオンさんは一瞬だけ悲しさを感じたが、すぐにまた生活のために働く人々の中に溶け込んでいった。
激しい雨が降った日には、母子は雨宿りをする場所も見つけられず、全身ずぶ濡れになってしまった。それでも、出費がかさむ中で収入を途絶えさせるわけにはいかず、2人は1日も休むことなく仕事をした。
フオンさんの記憶に残っているのは、母方の祖父母の家だ。わびしい路地裏にあるトタン屋根の家は隙間だらけで、雨が降ると四方八方から雨漏りした。床で寝ていたため、雨の夜は家族全員が眠れぬ夜を過ごした。
幼少期の悲しい思い出から、フオンさんは小さな「我が家」を持つことを夢見ている。自分が稼ぎ手になり、母親の負担を減らし、姉も復学して学業に専念することができる環境を整えたいのだ。