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1975年以前から広がっていた「ホーチミン市」という名称
それ以来、新聞、書籍、詩、音楽では、同じ作品の中でも「サイゴン」と「ホーチミン市」の2つの名称がしばしば併用されるようになった。
1950年に出版された書籍「9月23日(23 thang 9)」には、改名を望む市民の願いが記録されている。また、スタット(Su That=事実)国家政治出版社が1955年に出版した、ベトナム記者協会(Vietnam Journalists Association=VJA)の元事務局長ルウ・クイ・キー氏の著書「愛する南部(Mien Nam yeu quy)」も、サイゴンをホーチミン市に改名する構想に言及している。
「ホーチミン市」という名称は、その後もたびたび詩や音楽に登場した。1954年、詩人で、後に副首相も務めたトー・フウ氏は「我らは進む(Ta di toi)」という詩の中で、サイゴンを「ホーチミン市」と呼んだ。その詩には「南部へ向かう者よ / ティエンザンへ、ハウザンへ / 都市へ向かう者よ / ホーチミン市へ / 黄金に輝くその名よ」と書かれている。
1965年頃、音楽家のスアン・ホン氏は、「ホーチミン市の春(Mua xuan tren Thanh pho Ho Chi Minh)」という曲の構想を練り始めた。彼の娘であるホン・ロアン氏はティエンフォン(Tien Phong=先鋒)紙に対し、父が10年間にわたる試行錯誤の末、1975年の春にようやくこの曲を完成させたのだと語った。
1975年3月には、ダン・チュン氏とカオ・ベト・バック氏によって「ホー・チ・ミン主席の名を冠した都市からの歌声(Tieng hat tu thanh pho mang ten Nguoi)」という曲が誕生した。

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