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 ベトナム海軍の第4地域海軍司令部第146旅団で中尉として任務に就くチャン・ティ・トゥイさんは、1988年3月14日にチュオンサ諸島(英名:スプラトリー諸島、中国名:南沙諸島)のガックマー岩礁(英名:ジョンソン・サウス礁、中国名:赤瓜礁)でベトナムと中国の両海軍が繰り広げた海戦で戦死したチャン・バン・フオンさんの1人娘だ。
 同海戦では、ベトナム軍が敗北し、フオンさんを含めた64人が戦死した。64人中、3人は遺体で発見されたものの、61人は遺体すら見つかっていない。
 日焼けした肌に中部地方の訛りで「私が生まれた時には父は戦死していました。島へ発つ前に許された最後の一時帰宅で母が私を身ごもったことを知らないまま…」とトゥイさんは亡き父について語る。
 周りの友人は両親が揃っているのになぜ自分にはお父さんがいないのか、幼心に疑問に感じていたトゥイさんは、「お父さんはどこ?」と言っては母を困らせた。訊く度に母は「お父さんは遠い島でお仕事をしていて忙しいのよ」とトゥイさんに言い聞かせたという。
 トゥイさんが4歳になった1992年、大人たちが父の遺骨をシントン島から村の墓地に持ち帰り、母は涙ながらに「お父さんがやっと帰ってきたのよ」と言ったが、トゥイさんにはその意味が分からなかった。
 しかし、小学校に上がる頃には毎月旧暦の1日や旧暦の大晦日などに祖母と母が連れ立って戦死者墓地へお参りする姿を見て、祭壇に飾られたモノクロ写真に写っている軍服を着た男性が自分の父で、祖国のために戦い亡くなったことを理解した。
 トゥイさんの父フオンさんは、1965年に北中部地方クアンビン省の旧クアンチャック郡クアンフック村ドンサー集落(現同省バードン町クアンフック街区)で生まれた。中学校を終えると海軍に入隊し、砲兵偵察隊の教育課程に選抜された。卒業後、1984年1月に第4地域海軍第146旅団第862小隊の砲兵コマンド部隊の隊長の任を受けた。
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