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日本で最高学位を取得した最初の、そして最年少のベトナム人学者であるルオン・ディン・クア博士は、多くの水稲品種の「生みの親」であり、故ホー・チ・ミン主席の呼びかけに応えて帰国し、ベトナムの農業に貢献した。
クア博士がこの世を去って半世紀以上が過ぎた今でも、ズボンの裾を捲り上げて田んぼに入り、それぞれの稲の品種を熱心に研究するその姿は、ベトナムの科学における美しい象徴として語り継がれている。
現代のベトナム農業の歴史において、クア博士の名前は常に特別な敬意を持って語られる。クア博士は優秀な科学者であり、農業分野の先駆者であるだけでなく、愛国心の象徴であり、ベトナムの農民と田畑に献身的に尽くした人物でもある。
クア博士が残した高収量稲品種、先進的な農法、そして数多くの価値ある研究は、戦争と復興の時代における国の食料安全保障の確保に大きく貢献した。そのため、何世代にもわたる農民たちは親愛の情を込めてクア博士を「田畑の学者」と呼んだ。
日本で農学博士号を取得した最年少のベトナム人
クア博士は1920年8月16日、旧ソクチャン省(現在の南部メコンデルタ地方カントー市)の愛国心あふれる知識人の家庭に生まれた。
幼い頃から、クア博士は賢く勉強熱心なことで有名だった。旧ソクチャン省で小学校を卒業した後、サイゴン(現在のホーチミン市)に移って中等教育を受け、すぐさま優秀な生徒となった。17歳でバカロレア(高校卒業資格)試験に合格したが、これは当時としては稀有な快挙だった。
クア博士の学問の道は多くの転機を経験した。当初、香港に渡って医学を学び、その後上海に移って経済学を学んだ。しかし、戦争と歴史的な激動がクア博士を日本へと導き、そこでクア博士の人生は一変することになった。
多くのベトナムの愛国者たちの助言に従い、科学的知識を持ち帰って祖国に奉仕したいという思いから、クア博士は農業の道を追求することを決意した。
クア博士は、日本の九州大学ですぐに卓越した能力を発揮した。実験生物学科に入学してわずか1年後には、特例で3年生への飛び級が認められた。
1951年、クア博士は新しい稲の品種を作り出すための倍数体処理に関する研究をテーマにした遺伝学の学位論文を提出し、優秀な成績で審査に合格した。この研究は日本の科学界からも大いに評価された。

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