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自閉症の息子に14年間にわたり寄り添い続けてきたブイ・ティ・ロアンさん(女性・41歳)にとって、息子のナム君が「絵」というコミュニケーションの「言語」を見つけたことは、この上ない喜びとなった。
3月末のある午後、ハノイ市のホアンキエム湖を臨む軒先で、ナム君は白い紙に集中していた。少年が描く一筆一筆を通して、見慣れたロンビエン橋が徐々に姿を現す。外の人々が慌ただしく通り過ぎる中でも、ナム君は絵筆と色彩、そして橋が織りなす世界に没頭している。
その隣では、母親のロアンさんがパレットを手に持ち、誇らしげな眼差しで息子を見守っている。
他の親たちと同じように、ロアンさんもかつては賢くて才能のある子供を持ちたいと夢見ていた。しかしその希望は、ナム君がまだ幼い頃に消え去った。「生後17か月の時、ナムはいつも休みなく走り回っていて、大人2人がかりでやっと止められるという状態でした」とロアンさんは当時を振り返る。
何かがおかしいと感じたロアンさんは、ナム君と双子の兄を中央小児病院に連れて行った。そこで医師から、ナム君には自閉スペクトラム症(ASD)、双子の兄には言語発達遅滞があると告げられた。
言語発達遅延は一定期間の支援により改善が見込めるが、自閉スペクトラム症は生涯にわたる神経発達障害だ。ベトナムには約100万人の自閉症児がいると推定され、中央小児病院の2024年末の統計によると、毎年約1万人が受診しているという。
自閉症は重度から軽度まで様々だ。「ナムが自分で食事も生活もできるという点は、不幸中の幸いです」とロアンさんは語る。
10年以上前は、自閉スペクトラム症に関する情報は限られていたが、ロアンさんは息子に合った療育センターや教師を探し続け、自らも保護者向けの講座に参加して息子をサポートしてきた。
母親の絶え間ない努力にもかかわらず、息子の目に見える進歩はゆっくりかつわずかだった。ナム君は4歳でやっと言葉を話せるようになったが、ロアンさんは息子の行動障害に奮闘する日々が続いた。
ナム君がロアンさんの腕を振りほどき、走って道路を横断するたびに心臓が止まりかけた。また、ナム君が学校で行方不明になり、1人で歩いて帰宅していたことを後から知って、涙が枯れるほど泣いたこともある。
「息子はじっと座っていられず、教室を抜け出して校庭に遊びに行ってしまうので、そのたびに先生方は息子を探しに行かなければならず、毎日のように先生方から苦情を言われていました」とロアンさんは話す。
度々の苦情を受け、ロアンさんは、ナム君の授業に付き添ってサポートしてくれる教師を雇うという条件付きで、別の学校に転校することにした。