ワシントンD.C.の空港で私を迎えてくれたチャーミングな女性ビッキーは、ベトナム人の養女を育てている。彼女はベトナム北部の孤児院の紹介で今の娘アニーを養女にした。養子縁組の手続きが終わると、ビッキーはアニーを連れて彼女の故郷ホア・ビンを訪れ、たくさん写真をとったという。いつか娘に見せながら故郷の話をするためだ。アニーは大きくなるに連れてベトナム人であることを意識するようになってきており、ビッキーはそれをとても喜んでいる。
ビッキーには40近くになるまで子どもができなかった。養子を探していた時、彼女はあえてベトナム人のアニーを選んだ。「痛ましい歴史は知っているわ。私たちはまちがっていたのよ。」彼女いわく、アニーを育てることが「過去には存在しなかった二国間のつながり」だと思うようになったという。
去年の8月、ビッキーはアニーとベトナム文化サマーキャンプに参加した。ベトナム人の養子をもつアメリカ人たちの企画で、アオザイを着たり、ボランティアのベトナム人留学生とベトナムの遊びをしたりするものだ。ある時、一人のベトナム人の少女がアメリカとベトナムが関係を正常化させたことを非難した。その少女は幼い頃難民としてにアメリカに渡ってきたという。ビッキーは難民に関する本をかなり読んでいたが、30年間一度も国に帰ったことがない人もいるということをそこではじめて知った。
ビッキーの家にはたくさんのベトナムに関する本がある。その中にウェイン・カーリンが訳した戦争にまつわる短編集がある。ウェインはもともとベトナムで救助兵をしていたが、今はアメリカの大学で教えている。彼にはベトナム人の友人がたくさんいて、彼の家はベトナムから来た作家のたまり場のようになっている。ウェインのベトナム戦争での任務は負傷兵の救護が主だったが、今でも思い出すと苦痛を感じるという。そして彼にとって書くこととは自らを癒すことであり、また様々な視点からの考察は戦争の傷跡を癒すことにもつながるのだという。ウェインは多くのベトナム人の友人たちを助けてきたが、ビッキーと同じで彼らの状況を本当に理解したのは最近だった。
ベトナム戦争後半期にはたくさんのアメリカ人がデモ行進に参加している。またこの30年の間にたくさんのベトナム人がアメリカに定住。これからウェインやビッキーのような人が増えれば二国間のつながりはさらに強まっていくだろう。ウェインは言う。「戦争は悲惨だ。しかし戦争はもう終わった。そこからより美しいものを生み出そうじゃないか。」
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